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あれから27年。

1995年1月17日5時46分52秒

兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、
マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。

近畿圏の広域が大きな被害を受けた。

特に震源に近い神戸市の市街地の被害は甚大
近代都市での災害として世界中に衝撃を与えた。

犠牲者は6,434人

第二次世界大戦後に発生した地震災害としては
東日本大震災に次ぐ被害規模であった。

戦後に発生した自然災害全体でも、
東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
Wikipediaより抜粋


当時の事を今でも覚えている。
小学生だった私は、弟と同室で寝ていた。
槍が降っても起きないんじゃない?と言われる程
寝起きが悪かった私だったが、起きた。

縦とも横とも分からない揺れ。
二段ベッドの上階だったせいもあり、
ぐわんぐわんと揺れた。

棚から物は落ち、そこら中で大きな音が鳴り、
死ぬのかと子ども心に覚悟を決めた頃
母が扉を壊して助けに来てくれた。

揺れのせいで扉が開かなかったそうだ。


当時私が住んでいた場所は震度6程度だったように思う。


テレビで見た光景は凄まじかった。

倒壊した住宅、落ちた高速道路、傾いたビル
炎と煙に包まれた世界

住家被害:全壊104,906棟、半壊144,274棟
全半壊合計249,180棟、一部損壊390,506棟

火災被害:全焼7,036棟、焼損棟数7,574棟、
罹災世帯8,969世帯

その他被害:道路7,245箇所、橋梁330箇所、
河川774箇所、崖崩れ347箇所

被害総額:約10兆円規模

とんでもない数の人々が亡くなっている。

関東大震災では木造住宅が密集する地域での火災が被害を大きくしたため、おもに焼死により日本の災害で最悪となる約10万人の死者を出した。

東日本大震災では、主に津波による水死で1万5千人を超える戦後最悪の死者を出した。

これらと比べ、当震災では断層沿いに被害が集中して被災地域が狭かったものの冬季の早朝に発生し、自宅で就寝中の者が多かったため主に圧死で6千人を超える死者を出した。

今の神戸はとても綺麗だ。
あれから27年が経過して、とても綺麗になった。

当たり前は突然当たり前じゃなくなる。
先日のトンガでの噴火もそうだ。

あれほどの規模になるとなすすべもない
自然の脅威。

出来る事に限りはあるけれど、
備えあれば憂いなし の格言を胸に
防災意識を持ち続けたいと思う。


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