権利に感謝出来ない人たち

鬱状態の時に知能検査を受けるとIQが低く出てしまう。
これは鬱による集中力の妨げからくるそうだ。
その状態で知能検査を受けて結果に妥当性を感じなかった場合、再度検査を受ける事になる。

知能検査の検査料は非常に高い。
安いか高かはその人の価値観によって変わるが、私は二万円という金額を高いと感じた。
検査料金は病院によって違うのかもしれない。
しかし内科でレントゲンを撮っても数千円で、これに比べたらべらぼうに高いと私は思う。

コンディションが悪い時に知能検査を受けても正しい結果は出ない事を皆が皆知っている訳ではないので、一応ツイートしておこうと思い「コンディション悪いと知能指数低く出ますよ」的なツイートをした。

引用リツイートで「IQ低いほうが療育手帳とか取れて得やんけ」といったものがあり、そのツイートにいくつかいいねがついていた。

私はこの思想は危険だと思う。
療育手帳が得。
本人にしかこの文面の真意は分からないが、見ようによっては、お金に言及している風にも取れる。
税金を使う事に感謝も抵抗もなく、知的障害者の当然の権利だと言い張っている。
そんな風に読める。

療育手帳に関わらず、障害者が取得する手帳の最大のメリットは障害者雇用の選択も出来る事だろう。
しかしそう言いたい時に果たして「手帳があるほうが得」という言葉が出てくるだろうか。

ならやはり障害年金が出る、だとか、公共機関の割引サービスの事を言いたかったのではないだろうか。

確かにこういったサービスを障害者が受ける権利は当然ある。
私も精神福祉手帳を取得しているので、住民税をだいぶ安くして貰ったり、施設への入場を障害者割引で格安にして貰った経験がある。
そんな時、助けられた、と感じた。
知らない誰かのおかげでこの金額で済むんだ、ありがたいな、といつも思っていた。

周りに後天的に障害を負った友人もいるが、福祉サービスを「得」だ等と考えて使っているところは見たことがない。
今は使わせて貰っているけど、元気になったら返すから。
そんな気持ちで頑張っている。
私も今は通常の所得を選られる様になったので、納めた税金が誰かの役に立てばいいと思っている。

IQが低い方が得、と言った人は境界知能か軽度知的障害辺りなのではないかと推測している。
しかし知能が低いからといって、IQが低い方が療育手帳を取れて得、という発言はあまりに軽率ではないのか。
しかもそんな人間が何人もいる事に私は落胆した。

お金への価値観だけでない。

療育手帳を取得した、という事は知的障害が決定的になった証で、その事に苦しんでいる人だっているのだ。
私は境界知能だが、判定員を変えて再度判定すれば療育手帳が発行される蓋然性は高い。
境界知能というグレーゾーンも辛いが、もし療育手帳が届いたらそれはそれで別の辛さが待ち受けているのだ。

療育手帳は一つの権利かもしれない。
しかしその権利を行使できるのは何故なのか。
誰のおかげなのか。

それを理解出来ないのは知性の問題ではなく人間性の問題だと私は思っている。

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