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知的障害と発達障害を一緒に持っている場合

軽度知的障害(及び境界知能)と発達障害の合併について書こうと思う。

意外と知らない人が多いが、知的なハンデを持つ人が発達障害を持っている場合、発達障害は必ず知的障害(境界知能含む)の合併症として出る。

知的障害と発達障害が各々で発症しているのではなく、知的障害の合併症となるのだ。

逆はあり得ない。
発達障害の合併症としての知的障害は起こらない。
仮に起きていればその人は知的なハンデを持っている事になる。

ところで境界知能や軽度知的障害を認めたくないが為に自分は発達障害者だと言って譲らない人がいる。

しかし知的な問題のない発達障害者の中に混じれば話についていけなかったり、仕事で一緒になれば自分の方が劣っていたりという事は絶対出てくると思われる。

つまり自分は発達障害者だと騙る事で自分のハードルを自分で上げてしまったり、知的な問題のない発達障害者と自分を比較し劣等感に苛まれてしまったり、とマイナスになる点も少なからずある。

発達障害は一般的に知的な問題をないことを前提としている。
だから知的な問題がある人が自分を発達障害者と騙るのは少し違うかなと感じる。

かくいう私もかつては発達障害者になりたがった境界知能の一人である。

完全な軽度知的障害障害ではないが健常者にはなり得ないため発達障害者の肩書きが欲しかったのだ。

しかし当時通院を始めた主治医の言葉で我に帰った。

「主病が知的障害なので発達障害の診断が下りてもあまり意味がないですよ」

その時はADHDの診断が下りていなかった。
それでもこの言葉を聞いた時、自分の考えが見透かされた気がして落胆と同時に恥ずかしさを覚えた。

分かっていたのだ。
自分の問題は知性の劣りだ、と。
問題の本質は知的障害だ、と。

それでも私は認めたくなかった。
前主治医が紹介状に書いた「軽度知的障害」の文字を認めなくなかったのだ。
だから問題をすり替えていると気づきながら発達障害者になりたがったのだ。

結局訳あって発達障害も判明したが、こちらとはあまり向き合っていない。
服薬で大分特性も治まっているし主治医が言った通り私が向き合うべき問題は知的障害だからだ。

私は仕事を通してそれを理解した。
ケアレスミスは薬でぐんと減ったがある種の概念を理解出来ない事や応用の効かなさは当然治らず、発達障害ではなく知的障害が自分の問題点だと嫌なほど気づかされたからだ。

今もかつての私と同じ様な理由で発達障害者になりたがる人、なっている人は多いと思う。
それでもやはり問題はそこではない。

少しづつ知的な問題と向き合った方が自分の為だと老婆心から思っている。

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