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創刊号試し読みー「バス、その車窓」影山空

1月14日文学フリマ京都で販売します「第九会議室 創刊号」の、掲載作品の試し読みコーナーです。

影山空 著者紹介(本文抜粋)

 本を読むのは苦手だったが、文章を書くのはわりに得意だったと記憶している。少なくとも苦ではなかった。それが中学に入ると、ちょっとした感想文ですら「僕は、」で筆が止まってしまう。おそろしく時間がかかるわりに、誰でも書けそうなごく平凡な文章が出来上がるのだ。その頃から始まった書くことへの苦手意識。十年近く経った今でもその尾を引きずったままだが、なぜか僕は小説を書いている。
 大阪文学学校および第九会議室の人たちとの出会いのおかげで、今回同人誌作成という貴重な機会に携わることができた。
 この場を借りて心から感謝申し上げたい。
note:sora_kgym355 (影山空)

「バス、その車窓」本文抜粋

 外は雨が降り始めた。静寂な車内には、雨が地面を打ち付ける音と濡れたアスファルトとタイヤの擦れる音がかすかに聞こえる。すでに知らない道に入っていた。知らないが、見覚えのあるようなありふれた道だ。歩道には規則正しく街路樹が植えられている。どれも似たような木。名前なんてない木。一本の木に近づく。近づいて、近づいて、目線のすぐ真横までやってくると、その瞬間に木は僕の後方へと遠ざかっていく。その速度は近づくよりも速い。そんな気がする。視線を前に戻すと、今度はまた別のーしかし限りなく類似したー木が現れ、同様に近づいては一瞬にして視界から消えていく。
 窓には大量の水滴がへばりついていた。ちっちゃな水滴が密集していると集落のように見えてくる。そこには数えきれないほどの村が点在していた。一個のでかい水滴を中心とした独裁的な村から、非常に小さな水滴たちがひしめき合ってひっそりと暮らす村まで無限にある。雨が窓にぶつかるたびに全体の地盤は変容し、村同士が次第に近づき合う。そして小さな水滴村はより大きな水滴村に無抵抗に吸収された。シュルシュルシュル、と一つの小さな村は消滅する。こんなところにも弱肉強食の世界が広がっていることを残念に思う。僕は目を逸らした。
 少し眠ろうと、腕枕に顔を埋めた。車の揺れは直接頭に響いてくる。昔はバスが嫌いだったことをなぜか思い出した。車酔いがひどかったのだ。地元のサッカーチームに所属していた小学生の頃、学校が終わると毎日のように送迎バスで少し遠くの練習場まで通っていた。週末は遠征でさらに遠い場所へ。抑制のきかなかった幼い僕は気分が悪くなると我慢できずに車内で嘔吐することがよくあった。コーチや両親にはそのことでこっぴどく叱られた。せめて車を出てから吐きなさいと。それからバスに乗るのが怖くなり、集合時間の三十分前には送迎場所に着き、必ず一番前の席を確保するようになった。一番前なら揺れは少ないし、すぐに外へ出られるからだ。母からはぶどう味の酔い止めドロップをもらったが、それは効果がなかった。むしろそのぶどうの匂いがダメになってしまったのだ。とはいえ何度も乗っていれば、車酔いはましになっていく。酔いを防ぐコツをいくつも習得した。一番大事なことはとにかく眠ってしまうことだ。眠りは苦痛の時間をまったくのゼロにしてしまう。だから僕は、バスに乗るとすぐに腕枕をして眠るようになった。夢を何度もバスの中で見たはずだ。一体いくつの夢をバスの中で見たのだろうか。移動する車内で静かな眠りへとつくとき、自分の身体が車へと同化していくような心地がしたものだ。酔いを乗り越え、車へと適応していくこと、それはある意味で悲しいことだったのではないか、と時々思うことがある。僕は嫌で仕方なかった車に慣れてしまったのだ。あの臭いの空間に慣れてしまったのだ。大人の臭い。嗅ぐだけで気分が悪くなっていた臭いに、今では懐かしさすら覚えてしまうようになった自分を悲しむ。人はいつ大人になるのだろうか。嫌いだった食べ物を平気で食べられるようになったときだろうか。僕の場合それは、車の臭いをなんとも思わなくなったときだったのかもしれない。

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