見出し画像

何故小説には「設定」が必要なのか?

Q.設定厨なので、自分の作品のどこが不要な説明で何が必要な説明なのか判別するのが難しいです。推敲や校正をしていても、設定や世界観のことばかり気になって肝心の本文直しがちっとも進みません。どうしたら良いでしょうか。

A.自分よりも「設定厨」な作家さんの小説を読んだことはありますか?


「設定厨」タイプの創作者というのは、確実に世の中にいる。大雑把なニュアンスとしては、「架空の世界の架空の要素を細かく作り込むことを好むタイプの作家」のことである。しかしこれには相当に程度の差があり、かつ作った設定をどのように作品に活かしていくのかという部分で作品の最終的な出来上がり、そして読者からの評価が変わってしまう。自分のことを「設定厨で……」と常々言っている、というようなゴリラの皆さんに是非とも知っていただきたい作家を、今回はご紹介しよう。

世界に名を轟かせる「設定厨」

邦題では『指輪物語』と呼ばれる小説をご存知だろうか。ニュージーランドの映画監督、ピーター・ジャクソンによる三部作映画『ロード・オブ・ザ・リング』と言った方が通りが良いかもしれない。この映画の原作である小説は、今世界中で誰もがイメージする多くのファンタジー作品のベースになるキャラクター設定を、世界で初めて創作小説として出版したものだ。
エルフと呼ばれる種族は耳が尖っていて、美男美女ばかりで、老いても容姿が変わらず、あるいは不死であり、美しい装飾品を身にまとい、得意武器は弓矢。
ファンタジー漫画やゲームの中で我々がよく目にするこの設定は、『指輪物語』の作者が作り上げた「設定」である。
エルフだけでなく、矮躯だが頑強で力持ちのドワーフや、異種族の者たちが仲間となって冒険をする、といった「ファンタジーのお約束」は『指輪物語』がイメージの源泉になっているものが多い。
『指輪物語』の世界に登場する種族はそれぞれ文化や歴史を持ち、その歴史的背景や宗教的な思想などによって、キャラクターたちは様々な考え方を見せたり行動に制約を受けたりもする。非常に多様でとてもリアリティのある設定が全ての種族に対して作り込まれているのである。この設定たちはあまりのリアリティと説得力により、現在も続くファンタジー設定のベースとして多くの創作者に影響を与え続けている。
そして『指輪物語』ファンにとっては常識だが、これほどにリアリティのある細かい設定のバックボーンとして、「架空の世界で生まれ、話され、多くの人に使われて変わりながら架空の人々に伝えられてきた、架空の言語」が言語学的な知識によって明確に設定されているのだ。テングワールと呼ばれる架空文字が有名だが、作者はこの世界が発展するに当たってどのように言葉が生まれ、変化し、作中現代の言語が使われるに至ったのかということをこと細かに設定した。文字の原型となった古語、その文字を作り出し世界に流布したキャラクター、母音が符号であった時代から文字として表記されるようになるまでの歴史。そういったことを現実の言語学にそぐう理論によって設定した架空言語である。適当に語感の良い言葉を作り出した訳でも、アルファベットにそれっぽい文字を作って当てたわけでもない。まったく新しい架空の言語を、歴史を含めて一から生み出したのだ。そしてこれら全てが、物語やキャラクターを支えるための「設定」なのである。


いかがだろうか。100年も昔に、これだけの「設定厨」が書いた小説がある。そしてこの小説はとても魅力的だ。世界中で何度もアニメや映画になり、日本でも熱狂的なファンがいるほどの人気作品であることからも、その魅力はお分かり頂けるだろう。
ゴリラは古今東西の様々な創作作品を見るのが大好きだが、この『指輪物語』の作者ほどの「設定厨」は寡聞にしてほとんど見たことがない。このレベルになるともはや「設定厨」を通り越している、と思うゴリラの方もいることだろう。だがこの小説は世界中の多くの人を惹きつけ、読者を獲得し、今も人気のある物語だ。どんなにヤバイ設定厨であっても、それがどのように活かされているかによって作品の出来は変わってくるのである。

何のために「設定」を作るのか

「設定厨」であれば「設定を作ることそのものが楽しいから!」という場合も多いだろう。しかし忘れてはならない。ジャングルには多様な生物が生息しており、貴方の楽しみを他人も楽しいと感じるとは限らない。しかも、読者は「作る側」ではなく「作られたものを読む側」だ。たとえ読者が設定厨寄りの人物だったとしても、その人は作り出す楽しみを味わうことは出来ないのである。逆に、設定厨ではない人でも物語を作る側に回れば設定を作り出さねばならなくなることがある。
では、物語に「設定」を作るのは一体何のためだろうか。当たり前のことのようだが、今一度確認してほしい。
設定とは、「物語という架空の世界を支えるため」にあるものだ。
架空の世界というものは、ただ妄想するだけであればどんな人も自由にいくらでも考えることが出来る。しかしその妄想を他人にも共有しようとすれば、他人が納得するだけの説得力が必要になる。説得力の足りない「架空」は、自分の中では筋が通っていても、他人にとっては支離滅裂に見えてしまうことも多いものだ。自分の知識が間違っていて、専門知識のある人から見ると違和感のある描写になってしまう、などということもある。説得力とはいわゆるお約束やセオリーであったり、現実世界の法則にのっとった理論であったり、現実で誰もが知っていることの延長であったりする。何にせよ知識と想像を駆使して読者が納得いく「架空」を描き出すことが、設定を作る目的なのだ。
つまり、読者が納得して、違和感を覚えずに物語を読み進め、作品を楽しんでくれる手助けになるなら、それが一番効果的な「設定」ということになるだろう。作品を楽しんでもらえなければ、どんなに詳細な設定も膨大な知識に基づいた設定も、自己満足で終わってしまう。勿論、自己満足のためだけに書かれ一切公開されない物語というものもある。それはそれで素敵な趣味の活動だ。しかし当ゴリラの記事をお読みの方の大半はおそらく、ネット上や同人誌即売会などで作品を他人に向けて発表する機会をお持ちの方と思われる。他人に読まれる可能性のある場所に作品を出すのなら、読んでくれるかもしれない人のことを考えるのは決して悪いことではないはずだ。
読者が物語を楽しんでくれた結果、作中ではあまり触れられなかった深い設定に興味を持ってくれるということはある。ゲームを楽しんだ人が分厚い設定資料集を買い求めるなどというのは良い例だ。だがそれは作品を鑑賞してみて、楽しかったと思えた場合の結果であって、まったく何も知らない作品の設定資料集を先に買う、ということはあまりないだろう。
つまり、設定を作る際に「読者に作品を楽しんでもらうこと」を念頭に置くことで、それが必要な設定なのかどうかをある程度判別出来るようになるはずだ。

想定する読者層

貴方が書く物語は、どんな読者に向けたおはなしだろうか。
貴方がその小説で「書きたいもの」とは何だろうか?
で書かせて頂いたことだが、想定する読者を心の中に持っておくことはとても大切だ。自分と同じような「設定厨」に向けた話なのか。普段はライトな漫画やアニメを楽しんでいるカジュアルオタク向けなのか。あるいは幼年の読者なのか、シニア層なのか。想定する読者が決まれば、おのずと「必要なパーツ」も見えてくる。
自分と同じような設定厨に読んでほしい! くどいくらい設定の説明が続く文章が好きだ! そういうのが苦手な人には申し訳ないけど私はこれが書きたいんだ! と言えるなら、設定説明はジャンジャン入れた方が良い。普通の読者なら目が滑ってしまうような難解そうな文面でも、「設定厨」であれば嬉々として読んでくれるかもしれない。
「設定厨」ではないごく普通の人に読んでほしい、と思うなら小難しい説明などは雰囲気で読み流される、と思った方がいいだろう。もし作品を読み終えてその読者が楽しく思ってくれれば、後からきちんと設定の説明を読み返してくれたりするかもしれない。が、大抵初見の物語というのは先が気になるので早く読み進めたい、と思うのが人情である。従って読み進めるのに邪魔になるほどの説明が高頻度で挟まってくる場合、途中で読むのをやめてしまう人もいるかもしれない。
児童文学や童話といったジャンルであれば、設定説明は最小限に留めるか、あるいは作中で博識という設定を持ったキャラクターのセリフによって説明するなどの工夫が必要だろう。このテクニックは児童向けでなくとも伝わりやすく読まれやすいので、覚えておけば使う場面もあるかもしれない。

他人にチェックしてもらう

「語彙力がないので感想が言えません」という感想
で書かせて頂いたが、やはり自分一人でチェックしていても限界はある。この設定説明はくどくないか? 不要ではないか? 間違った知識を書いてしまっていないか? 自分で判断出来ないのなら、他人の視点を取り入れるのが一番の近道だ。可能なら自分が想定する読者層に近い人に読んでもらうのがベストだ。協力を仰げる友人がいるのなら、是非頼んでみるといい。そんな友人はいない、という方はスキルマーケット系サイトなどを利用されると良いだろう。
これはゴリラが文章校正を依頼して頂いた際の実例だが、誤った知識に基づいた「設定」をひとつご覧頂こう。

冬から春に季節が移り変わる頃のシーン。夜、自室の窓から遠くの桜並木を眺める主人公。もうすぐ桜が咲く、咲いたらあの道はライトアップされて美しい景色になるはずだ、という主人公のモノローグと共に桜の青葉がざわざわと揺れる。

ゴリラのもとに届いたこの場面設定文書だが、皆さんはどこが違和感になるかお気づきになっただろうか。
答えは
「桜の青葉がざわざわと揺れる」
という部分だ。桜は花が咲いてから葉が出る植物である。まだ桜が咲いていない季節、冬から春への境目の季節に桜の葉が出ていることは通常あり得ないのである。これは植物に詳しい人、あるいは桜の木を日常的に見ており生態を知っている人であれば違和感を覚えてしまう設定になるのだ。
自分では知っていると思うこと、なんとなくイメージを持っているものが、調べてみたら間違った知識だった、ということは珍しくない。間違ったイメージの方が逆に世間に浸透し、フィクションの世界では常識となっているような場合もあるのだが、創作物を生み出す側になるのなら正しい知識を学んでおいて損はしない。質問者さんのように「設定厨」を自負する人であれば、知的好奇心を満たすことはどんな分野の学問であっても楽しめるはずだ。
そしてこの「桜」の実例のように、自分では気付かない、調べようと思う機会もない小さな思い込みからくる些細な設定ミスというものも、小説を書いていれば起こり得る。他人にチェックしてもらうことによってこうしたミスは防げるし、知識を増やすことも出来る。校正の依頼はハードルが高く見えるかもしれないが、ハードル以上に有意義なものなので、ゴリラの皆さんには是非トライしてほしいと思う。

漫画だとしたらどうか?

小説ではなく漫画だったら、と考えてみると、説明が必要なものかどうか分かりやすいという人もいるかもしれない。
以下の例文をご覧頂きたい。

「あ、そうですね。じゃあここでやろうかな、課題」
Aはそう言うと、ぐるりと事務所の中を見回した。使い込まれたソファ。ノートパソコンの置かれたデスク。窓辺に飾られた花。初めて訪れた時からそう代わり映えもしない小さな事務所。中学時代は、よくここでアルバイトの合間に宿題を片付けた。いや、宿題の合間にアルバイトをしているような日も多かった。またここで勉強する日が来るなんて、とAは懐かしさに目を細める。その目の前に、ことりと音を立てて湯呑が置かれた。

このシーンが漫画だった場合、顔を上げるAのコマに続いて、Aのいる「事務所」という場所の景色が一コマずつ丁寧にコマを割られて描かれている、という印象になるのではないだろうか。家具のくたびれ具合やノートパソコンの形なども読者の意識にはっきり残るはずだ。
ではこれが次のような例文だった場合はどうだろう。

「あ、そうですね。じゃあここでやろうかな、課題」
Aはそう言うと、事務所の中を見回した。年季の入った家具ばかりの狭苦しい空間だが、居心地の悪さは感じない。中学時代は、よくここでアルバイトの合間に宿題を片付けた。いや、宿題の合間にアルバイトをしているような日も多かった。またここで勉強する日が来るなんて、とAは懐かしさに目を細める。その目の前に、ことりと音を立てて湯呑が置かれた。

このシーンが漫画だった場合、「事務所」の光景はやや大きめの一コマで表され、家具やノートパソコンなどはコマの中に小さく描かれていても、読者の印象にはあまり残らないだろう。それは文章であっても同様で、前者の例文に比べると「事務所」の印象は薄まっているのではないだろうか。

ゴリラはこのシーンを書くにあたり、事務所の間取り図もノートパソコンの年式もソファのどこが破れていてその部分をどう隠してあるかも設定している。しかし文章内にそんなものは出てこない。必要ないからだ。この文章から読者に伝わってほしい「設定」はただ一点、「あまり綺麗ではない古臭い事務所だが、Aは子どもの頃からここに通っていて、ここが好きだ」ということだけである。従って「使い込まれたソファ」や「年季の入った家具」といった説明まで削ってしまうと、今度は伝えたいものが伝わらない「説明不足」の文章になってしまう。ソファやノートパソコンといった調度品の「設定」を考えてすらいないとなると、この場面で「事務所の内部の景色」を書こうとした時に困るのは自分自身である。
このように、視覚的に表現した場合の「カメラワーク」や「コマ割り」で考えてみることで、説明の過不足を測ることが出来る。事務所の印象を強めにしたければ前者の文章に、事務所よりも印象付けたいものがあるのなら後者の文章にすることで適切な「設定説明」になるだろう。

終わりに

いかがだろうか。設定を作るのは創作者にとって楽しみの一つでもあるが、目的を見失った設定では本文に活かせないし、設定ばかりが羅列されていても読者が楽しめるとは限らない。必要な描写を見定め、その描写に必要な設定を作り、想定する読者にとって適切な分量で設定を活かすことが大切である。設定を作らないで書き進めてしまうと、後で整合性が取れなくなって泣く泣く方向転換する、などという事態も起こり得る。設定をせっかく沢山作ったからと説明しすぎても、読者が飽きてしまうこともある。小説を書き慣れた人であってもさじ加減が難しいのが「設定」なのだ。
設定を作る目的を常に意識して作っていけば、貴方の作品はより深みを持ち説得力のある「架空の世界」として読者の心を動かすだろう。作品の完成度がアップするのだ。適切な設定をバックボーンに置けば、かっこいいキャラはよりかっこよく、可愛いキャラはより可愛く見える。「設定」の作り込みと、その活かし方次第で作中のキャラをさらに輝かせることも出来る。「設定」は扱いの難しいものでもあるが、効果的に使えれば作品を今よりももっと素敵なものにしてくれるはずだ。貴方の作品がさらに輝かしい鈍器になることを、ゴリラは願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?