「速筆」になるということ
Q.小説を書き始めて数年、そろそろ書く速度を上げたいと思い始めました。速度を上げるには、手直しの必要がない文を書けばいいのか、単純に書く速度を上げればいいのか、他に方法があるのか。どうしたら速筆になれるでしょうか? ゴリラさんの練習法などあれば教えてください。
A.何故速筆になりたいのでしょうか?
「筆が速い」ということが良いことかどうかは、人と場合による。とゴリラは思う。このジャングルにおいて、筆が速いことが必ずしも良いとは限らない。
たとえば、事件発生から記事にするまでのスピード感が求められるニュース速報や新聞記事のライターであれば、多少誤字や確認不足の部分があっても「速筆」であることは大きな強みになる。仕事の場合は生活の懸かった「締め切り」が発生するので尚更だ。趣味の分野であれば、ゲームやアニメの更新からまとめ記事にするまでのスピード感で読者の興味関心を引ける、というようなことになるだろうか。
だが小説や個人の感情を書き連ねるような文であれば、速さは特に問題ではない。趣味の活動ならなおのことだ。多少筆が遅くとも、内容をしっかりと練り読みやすく読者の心に響く文章を書いた方が、結果的に多くの読者を獲得し評価や賞賛にも繋がりやすくなるだろう。もちろん書き手自身も納得のいく結果になるに違いない。
さて、質問者さんは何故速筆になりたいのだろうか。
筆が速い方がカッコイイから?
遅いと同人誌の締め切りに間に合わないから?
書くのが遅い自分に劣等感を感じて焦っている?
どんな理由にせよ、それが自分で胸を張れる理由であれば堂々とその理由を掲げてほしい。これからゴリラはゴリラなりに「速くなること」についての解説をするが、まず本人の動機、理由がはっきりしていないとこのジャングルの中でスピードを求めるのは難しい。動機が小さいとか、くだらないとか、人様に言えるものではないと感じてもいい。他人に言う必要なんてない。それを自分の心の中で旗印のように掲げ、それに向かって努力するための目標にするだけだ。カッコよくなりたいなら、それでいい。悔しさや劣等感から抜け出したいだけならそれでいい。早割が使いたいならそれでいい。理由を明確にしてから、是非この先を読んでみてもらいたい。
ちなみにゴリラは一時間に2000~3000字が平均ペースである。これが速いのか遅いのかは分からないが、参考になれば幸いだ。
「速くなる」ということ
物事が「速くなる」ということは、「慣れる」ということである。ソシャゲの周回にたとえてみよう。
周回をしようとすると、何度も何度も同じ動作、同じ行為を繰り返すことになる。当然やればやるほど慣れてくるし、飽きてもくる。最初はひとつひとつの敵の攻略法を確かめながら、新しいクエストにワクワクして挑んでいたはずが、慣れると新鮮さが失われてしまう。それが人間というものだ。慣れると「この操作は必要ないな」「ここをこうしたらもっと速くなるな」ということに気付き始める。こうなると「一番効率的に周回できるのはどんな構成かな?」などと調べ始めたりもするだろう。クエストクリア自体に飽きると、人は新しい楽しみを求めるのだ。また、「報酬アイテムをあと○個集めないと」というような明確な目的がある場合は、とにかく効率がいい周回をするに越したことはない。しかし最高効率周回に必要なパーツやアイテムを持っているかどうかは人による。必須キャラをガチャで引けていなければ、自分の持っているキャラで代替の攻略法を考えなければならないこともあるだろう。
これはどんなことでも同じだ。「文章を書くこと」でも変わらない。
「慣れ」は「効率化」を求め、「効率化」されれば「速く」なる。仕事でも、趣味でも、どんな種類の行為でも同じである。そして効率良く動くための方法も、その方法に必要なものを持っているかどうかも、人によって千差万別である。
文章を書くのが「速くなる」
さて、文章を書くのが速くなるためにはどんな方法があるだろうか。それを知るにはまず「文章を書く」ということそのものを知らねばならない。書く上で自分はどこが遅いのか、どこを速く出来るアイテムを持っているか、自分に合った「効率化」の方法を見定める必要があるからだ。
文章を書くということは、表現するために適切な言葉を選び、繋げていくということの繰り返しだ。そして選択肢はほぼ無限にあると言っていいだろう。言葉の選び方、組み合わせ方は無限に存在する。ただし当たり前だが、作者の頭の中に入っている語彙や文法しか使えないという制約がある。多くの語彙や文法を知っていれば、それだけ「今書きたい文章に適切な言葉」を選びやすくなる。多くの言葉や文法を知り、それが必要な時に自然にすらすら出てくるほど使い慣れれば、言葉選びに詰まって立ち止まることが減り、結果的に「速筆」になるという訳だ。
ソシャゲの周回にたとえるならば、「この敵にはこの編成で3ターン周回いけるわ」という編成がぱっと思い付くくらいにはやり込んでいる、ということになるだろうか。
つまり「多くの語彙や文法を知っていること」と、「知識が必要な時にぱっと出てくるまで使い込むこと」がクリア出来れば速筆になれることだろう。
誤字脱字や日本語の誤用は、文章を書く上で必ずと言っていいほどぶち当たる問題だ。これらの間違いに気付くタイミングや頻度は人による。人間は生き物なので、体調や気持ちで発見頻度がブレることも多い。だが「手直し」の手間を減らす効率化を求めるなら、ここを鍛える必要があるだろう。では、誤字脱字を手直しする手間を減らすためにはどうしたらいいのか。
まず必要なのは、「文章を読む速度」である。文章を読む速度には個人差があり、これは読むことにどのくらい慣れているかによって違う。日常的に分厚い小説や活字を読むことが習慣付けられている人であれば、やはり読むスピードは速い。読むことが速い人は、自分が文章を書いている最中でも逐一読み返すのが容易になる。容易なことは頻度が増える。書きながら何度も読み返しをしていれば、誤字脱字に気付く頻度も自然と高まるという訳だ。
読むことに慣れていれば、「精読」と言われるような「文章を丁寧に読み込む」ことも容易になってくる。これを自分の書いた文章に対しても出来るようになれば、当然誤字脱字や文法の誤りに気付く確率も上がる。
つまり「精読」を「書いてる途中でもさらっと」出来るくらい読むことが得意になれば、誤字脱字を書いている最中から減らし、速筆になれることだろう。
もちろんそういう人でも、書き終わってから通して読み直すとまだ誤字がある、ということもある。こればかりは中々ゼロに出来るものではないので、そこを念頭に置いて頂きたい。
小説の場合は物語の展開、構成といったものも重要なポイントだ。特にストーリーで読者を楽しませる娯楽小説であれば、構成の仕方は大切な要素になる。物語の構成のセオリーやルールを知らず、毎回「伏線回収し忘れてた……」「前半とオチの辻褄が合わない……」といったつまづきを繰り返していれば、その分書く速度は遅くなる。セオリーやルールを学び、多くの「物語のパターン」「パターンをひっくり返す意外性」などのサンプルを知れば、自分で小説を書く際にもその知識を使いやすくなるという訳だ。毎回構成の同じようなところで悩むのであれば、是非他人の作品から知識を学んでみよう。知識を自由に使いこなせるようになるまでには訓練も必要だが、構成に迷わなくなれば大幅に書く時間を短縮することが出来るようになる。
構成のセオリーを知っていれば、書き終えた話を読み返して「なんか気に入らないな、やっぱり書き直そう」といった迷いを減らすことも出来る。セオリーとは指針だ。指針があれば「説明出来ないけどなんとなく違う」ものは「説明出来る違和感の理由」に変わる。理由が判明していれば対策が立てやすくなり、まだ見ぬ対策方法を調べるのも容易になる。そも書き始める前の「ストーリーライン」や「プロット」の段階で、自分の書きたいストーリーに合った構成かどうかを知ることも出来るようになるのである。
つまり「書きたい話に合った構成」を素早く選べるようになれば、その分だけ速筆になれるのである。
道具の使いやすさや配置の心地良さといったものも、作業の効率化においては重要な要素である。仕事で一日に何十回も使う道具が頼りなく不便なものであれば、仕事そのものの効率が落ちてしまう。逆に道具が使いやすく自分の手に馴染むものであれば、その分余計なことに気を取られず仕事が進む、という訳だ。道具自体を買い換えることが出来ればそれもいいが、今ある道具を使いやすくカスタマイズしたり、ちょっと手を加えるだけで使い心地を良くすることも出来る。小説の場合は原稿用紙やペン、エディタやキーボードなどが「道具」だろう。
今使っている紙やエディタは、本当に自分に合ったものだろうか。「もう少しここがこうだったら」という気持ちがあるなら、その気持ちを満たす道具やカスタム方法を探してみると良いだろう。たとえばゴリラの場合は、エディタの背景色は黒がいい。長時間ぶっ続けで小説を書き続けることが多いので、画面背景が白いと目が疲れるからだ。背景が緑色の方が目に優しそうだから、という理由で緑に設定しているゴリラもいるし、やっぱり白背景がいいというゴリラもいる。ツリー管理やプロット参照がラクなエディタが好き、というゴリラもいれば、とにかく反応が早いエディタを好むゴリラもいる。
つまり道具が本人にとって使いやすく、必要な機能を備えていれば、それだけ速筆になれるということだ。
速筆になるとどんなことがあるのか
では様々な方法を駆使していつか筆が速くなった時、書き手には一体どんな変化が起きるだろうか。少し未来に思いを馳せてみよう。
書くのが速くなると、まず沢山の文字数を書くことが苦ではなくなる。
長編を書きたいと思った時に途中で息切れしたり力尽きたりする確率はぐんと下がるだろう。だがその分だけ文章が長くなりやすく、冗長な部分が出てきたりもする。必要ない文章まで勢いで書いてしまい、ストーリーに関係ない説明がだらだら続くようなことも増えるかもしれない。この場合は「必要ない文章を見極め、思い切ってボツにする」という新しい技術が必要になる。
次に、「文章を書く」ことそのものが楽しくなるというメリットがある。
速いということは効率化されているということだ。効率化された作業であれば、その作業をこなすこと自体には違和感もハードルもなくなる。それだけ自分の書きたい内容、ストーリーに集中・没入しやすくなり、書くことが楽しくなる。ただし効率化された作業というものは、それ自体には「飽きて」いる状態だ。ベイビーゴリラであった頃の「なんとか書き上げられた! 頑張って書いたぞ!」という達成感は、どうしても薄れてしまう。この場合「書くという行為そのもの」以外の部分に達成感を見出せなければ、モチベーションが続かないということもある。最悪筆を折ることにもなりかねないだろう。
同人誌を発行する場合は、締め切りに間に合うようになる、というメリットがある。筆の速さに自信のある作家さんであれば、多少無茶なスケジュールでも原稿を落とす心配はないだろう。同人の場合は趣味の活動なので、社会でのお仕事との同時進行になることが多い。お仕事やプライベートで想定外のアクシデントがあっても、速筆な作家さんなら余裕を持って原稿が出来ることだろう。また、多くの印刷所が設定している「早割」を使いやすい、という利点もある。早割で入稿した上で無料配布の冊子やグッズを作る、などということも考えられるようになる。もっとも、こうしたことは別に速筆でなくとも出来る。スケジューリング能力さえあれば、どんなに筆が遅くとも自分のペースに合わせた締切設定をすればいいだけの話だ。更に言えば、自分の速筆さを過信してうっかりスケジュールが崩壊するような状態では、せっかく筆が速くても自分の首を絞めてしまうことになるだろう。
いかがだろうか。速筆になったとしても、別にメリットばかりとは限らない。速筆になった結果更なる試練、新たな敵が待ち受ける未来も充分に考えられる。趣味で書いている場合は、筆が速かろうが遅かろうが誰に責められるいわれもない。だが、自分自身が自分に納得出来ない! というマッチョゴリラな皆さんは「速筆になるための勉強」に手を出してみるのも悪くはないだろう。学んだことはジャングルにおいて決して無意味にはならない。目に見える結果に繋がるかどうかは別として、という話ではあるが。
「速筆になる」方法とは
結局のところ、速筆になるため必要なのは「多くの語彙や文法を知り」「多くの構成や展開を知り」「読書と執筆という動き自体に習熟する」ということである。つまるところ、
「モリモリ小説を読んでバリバリ小説を書く」
ということになる。
ものすごく当たり前のことだし、地味すぎるし、今すぐ上達するコツでもなんでもない。速筆になるまでに一年の人もいれば五年、十年かかる人もいるだろう。そんな地味なこと言われても……という方もいらっしゃることだろう。だがゴリラはこのジャングルで暮らして長いこと経つが、「誰でも一瞬で小説を書くのが上手くなったり速くなる魔法のような方法」を聞いたことは、一度もない。探せば世の中にはそういう方法もあるのかもしれないが、そんなに多くはない、ということだろう。
とにかく読み、とにかく書くこと。それもただ漫然と続けるだけでなく、何が必要で何を目的とするのか常に意識し続けること。そして結果を焦らず長い目で見て、継続していくこと。何かを「速く出来るようになる」ために必要なこととは、地味で時間のかかるものだとゴリラは思う。時には他人にアドバイスをもらって、自分に足りないことを気付かせてもらう必要のある日もあるだろう。そして地味な努力の先でいつか「速筆」になったとしても、それは結局「自分の書きたい話を書くために便利な能力」でしかない。ただ道具が便利になるだけのことだ、筆が速くなっても作品のクオリティが上がるとは限らない。「速筆になること」自体を目的にすると、ここで足元を掬われる可能性もあるということだ。ジャングルを生きるゴリラの皆さんには、是非とも「速筆になって何をしたいのか」を忘れずに日々の地味な執筆作業を楽しんでいって頂きたいと、ゴリラは思う。「何をしたいのか」を知り、その目標に向かって努力することが出来れば、きっとゴリラのアドバイスなど必要なくなる。それは貴方自身の楽しみであり、貴方自身の人生であり、貴方自身の生き方になるからだ。
皆さんがジャングルで自由に生き生きと創作活動を楽しめることを、ゴリラは願っている。
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