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1+1=



2人で1つだとか、ニコイチのように、1+1=1という表現がある。
同じように、1+1=3にも4にもなる、という言い方もする。

どちらも素敵な考え方だと思うし、実際にその言葉を使ったこともあるけれど。
夫婦として、自分と夫をそれに当てはめると、やっぱり1+1=2だよな、と思うのだ。


別々の人間が、夫婦になる。
それって当たり前だけど単純じゃなくて。
価値観の違いがなんだかんだとか言うけど、いやそれは当たり前のことではないか、と思うわけで。
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないって、有名な某歌詞にもあるし。



noteに何かしら書く度に言っているが、これはあくまで私個人の考えなので、そんな人も居るんだなぁくらいで読んでください。
よろしくどうぞ。お願いします。




夫とは、職場で出会ったわけだが。

好きだ!とか、恋しい!みたいな、そういうあれではなかった。
なんとなく話してたら家が近い事が分かって、なんとなく飲みに行くようになって。
そこで話した観たい映画が同じだったので観に行く約束とかして。
ダラダラとそういう同僚としての日々から、一緒に居て楽だなぁからのお付き合い。
からの同棲。
からの結婚。


誤解を恐れずに言うと、10代だったり20代前半の頃の私はというと、来る者拒まず去るもの追わずな人間で。
元恋人と呼べる人間の数は両手の指じゃ多分足りなくて。
それは常に恋愛してたいからとかいうアレじゃなく、恋愛に特に執着が無かったから、まぁ寄ってきてくれるなら受け入れるし、面倒になればさよならするし、離れていくなら見送りますよという感覚だったからである。

なので夫と付き合い始めた時も、感覚としてはそれと同じ。
同棲するだとか、結婚するだとか、そんなことは微塵も考えていない状態で交際をスタートさせた。

なので私の結婚生活において「好きだから許せる!」「愛してるから多少のことは目をつぶれる!」みたいなのは想定していない。
ただ、他人と他人が夫婦及び家族として、40年50年と日々を穏やかに共有出来るかどうかが何よりも大切なのだ。



そんな私が夫と結婚して、それなりに夫婦として上手くやれている理由みたいなものを、ちょっと思いつくままに書き出してみる。



まず1つ。
夫の、自分以外の人間に平等に寄り添う姿勢を尊敬しているから。

夫は、話に出てくる登場人物全員を平等に捉え、様々なパターンを想像できる。

例えば仕事において、AがBのやり方に対する不満を口にしたとする。
そういう時、Aのやり方を否定もしないが、Bのやり方も否定しない。
ルール違反だとか、NGとされている方法であれば指摘はするが、同じ仕事でも人によって進めやすいやり方は違うから、自分に合うやり方が見つけられてるなら別々の方法でやっててもいいじゃん、と言う。

例えば友人に、パートナーの愚痴を聞かされたとする。
そういう時、友人が吐き出し尽くせるまで話は聞くが、肩入れした意見はしない。
俺はパートナー側の意見を聞いてないからどっちが悪いとか言えないけど、話すことでスッキリするならいつでも聞くよ、というスタンスなのだ。

主観に入り込みすぎず、常に第三者の目線で他を同じ距離から見つめられる。

私はどうしても「私はこう思うけど」と自分主観の意見を言ってしまいがちだし、先に話を聞いた側の意見を鵜呑みにしがちなので、これが出来る点は本当に尊敬しているし、見習いたいとも思っている。

それと関連して、他人の話を遮ることなく必ず一度最後まで聞くところも。
これが意外と難しくて、私はどうしても途中で「分かる〜」とか「そうだよね〜」なんて同意する相槌を打ってしまいがちなのだ。
だから、ただただフラットな気持ちで最後まで話を聞き通すことが出来る夫はすごいと思っている。
もちろん、私の話も毎回そうやって聞いてくれる。



2つ目。
夫と私の「好き」は違うけれど、「苦手」が似ていることだ。

突然何も予定のない休日が出来た場合。
私なら、前から気になってたカフェに行こうかとか、欲しかったあれを買いに行こうかとか、ちょっとウインドウショッピングでもしようかとか、最近会ってないあの子に連絡してみようかとか、割と外に出る予定を入れる。
対して夫は、予定のない休みならとりあえず前日に夜更かしして、昼くらいまで寝て、起きたらダラダラとネトフリで映画でもみて、ラーメンでも食べて寝よう、みたいなインドアを満喫するタイプだ。

きっと、趣味はほとんど被らない。
「好きなこと」がそれなりに違う。
それが私には心地よい。

お互いに別々の事に集中する時間があって、別々の交友関係があって、別々の世界を持っている。
夫婦として同じ空間で暮らしているからこそ、その、全く交わらない世界線があることが必要なのだ。

そして何より、これだけはNGみたいなのが同じであることが重要である。

好きなことが被らないと言ったが、まぁそれは全てが全てなわけではない。
私も夫もアニメや漫画はそれなりに好きなので、気になるアニメの映画を一緒に見に行ったり、ただただ漫画の続きが読みたくて一緒に漫喫に行ったりすることもある。
夫の勧めで一緒に見たMARVELシリーズに私がハマったり、私が好きな謎解きや脱出ゲームを一緒に楽しんでくれることだってあった。

そんな中で、これだけはやりたくないだとか、これだけは避けたいだとか、これは出来れば遠慮したいという物が同じであることはとても大切だなと思う。

私たち夫婦で言うと、例えば以下のことがある。

まず、人混みがあまり好きではない。
特にショッピングモールの人混みが苦手だ。
なので正月の初売りだとか、アウトレットモールのセールだとかには基本行かない。
それから有名なテーマパークなんかに行く時は、クリスマスだとかハロウィンだとかのイベント事が無い時期の平日にする。
出来るだけ混んでいない日が良いから。

それから、完璧を求めることが苦手だ。
家事にしてもそうだが、まぁ明日でいいか、とか、これくらいでいいか、とか。
良い塩梅に手抜きしながら生きていきたいタイプなので、100点満点を目指す生活は向いていない。
お互いに。

あとは、ズルズルと引きずるのはしたくない。
嫌なことがあったときも、次の日には気持ちを切り替えていたい。
夫婦で話し合うことがあったときも、その場でちゃんと結論を出して終わりたい。
「あの時は〜」「この前のあれは〜」みたいなのは互いに面倒臭く感じてしまうので、できる限りしたくない会話である。

そんな感じで、ちょっとNGかなと思う部分が同じなのは、実は一緒に生活する上でとても重要なのではないかと思う。



3つ目。
金銭感覚が近しいこと。

私たち夫婦は、基本は日頃、どちらかというと節約傾向にある。
喉が渇いたなら、カフェに行かずとも自販機でペットボトルを買えばいいとか。
デートだからとオシャレなお店でランチしなくても、フードコートで各々好きなものを食べればいいじゃないかとか。

財布やキーケースやなんかも、お互いがプレゼントしたからというのもあるけれど、もう5年以上同じものを使っている。

仕事着はどうせ消耗品なのだからと、安いもので着回している。
家電なんかは安くなる時期まで待つ。

けれど、使う時には惜しみなく使う。

例えば記念日や誕生日、クリスマスなんかは奮発する。
ボーナスはお互い、欲しかったものを買うのにドンと使う。
旅行するときは我慢しない。

そういうメリハリのある使い方をするのが結婚前から同じだったのは、ある意味、この人となら生活していけると思った点でもある。

ちなみに我が家はお小遣い制ではない。
生活費入金制だ。
これも2人の総意である。



4つ目。

多分、きっと、私にとってはこれが1番大きくて大切な理由。

自分の機嫌は自分で取れること。

冒頭にも書いたが、夫婦と言えど元は他人。
価値観の違いは当たり前。
1+1=2なのだ。

夫婦として、家族として、そもそもの「1」がちゃんと「1」として成り立っていなければダメだと思う。
自分が、相手が、ちゃんと「1」に成りえていることがスタート地点。

人間、誰しも辛い時や苛立つ時はある。
それは百も承知な上で、そういう時の気持ちの落ち着け方を身に付けていることが必要だと思うのだ。

仕事で嫌なことがあった。
プライベートで辛いことがあった。

そういうとき、もちろん寄り添う姿勢はお互いに持っていたい。
話ならいくらでも聞くし、気晴らしにもいくらだって付き合う。

でも、悲しみを、怒りを、八つ当たりのようにぶつけ合う関係にはなりたくない。
お互いが居ないと立ち直れないような人間にもなりたくない。

これは恋人だった頃から思っていたことだが、子供が出来て更に思うようになった。

だって、24時間365日、子供の機嫌を取りながら生活しているのだ。
その上、パートナーの機嫌まで取ってあげる余裕など無い。
だから、自分の機嫌は自分で取れる人間であって欲しいし、なんならその上で子供の機嫌も取って欲しい。
欲張りかもしれないけれど。

夫はというと、晩酌をしながら嫌だったことを口に出してしまえば、翌日はケロッと機嫌を治してくれるタイプなので助かる。
晩酌にも付き合うし、相槌を打ちながら話も聞くが、私がするのはそれだけ。
あとは自分で切り替えてくれる。

私も私で、友だちに会うか買い物するかすれば気持ちは晴れる。
その間、夫は嫌な顔ひとつせず子供の面倒を見てくれる。
なんなら「出かけてきなよ!俺も子供と2人で遊びに行きたいから!」と、私より先に家を出ていくような人だ。
こちらとしても、あんなに楽しそうに出掛けてくれると、申し訳ないという気持ちが無くなるので有難い。



これが、私の、夫と上手くやれている理由だ。



さて。

なぜ今、こんなことをnoteに書こうと思ったのか。

それは来るべき産後のイライラ期やガルガル期への備えだ。
1人目の時はそこまでイライラもガルガルもしなかった私だが、軽い産後うつ鬱にはなった。
里帰りせずに過ごす2人目、それがどうなるか分からない。

万が一、夫に対してイライラしたりガルガルしてしまった時。
産後1ヶ月までは気軽に外出も出来ないであろう状況で、もしも私自身、自分の機嫌を取り切れない時が来たら。
このnoteを自分で読み返し、夫の良いところに改めて目を向けようと思うのだ。


子供が増える。

その生活を、私も夫も、実はまだいまいち上手く想像出来ずに居る。

それでもその時は来る。


私の産後の体調はどうか。
メンタルはどうか。

産まれてくる子は寝る子か。
ミルクを飲む子か。

息子は2人目を見てどう感じるのか。
赤ちゃん返りするのか。
イヤイヤ期は増していくのか。

夫の仕事の繁忙期はどれくらいか。
来年度の担当替えはどこになるのか。
転勤はまだ大丈夫なのか。



見えない未来の中で、夫婦として、家族として、どう生きていくのか。

私たち夫婦は、1+1=2の関係だ。

けれど我が家は今、1+1+1で、もうすぐ更に+1になって。

1+1+1+1の家族が、どう暮らしていくか。

きっとそれは、夫婦の数だけ、家族の数だけ、答えがあって。
そしてどこにも正解は無いのだろうけれど。
だからこそ自分たちで、自分たちに合った、自分たちにとって最善の方法を探し続けなければならない。

私にとって夫は、それが出来うる相手だと思っている。


とりあえず。
「俺が居ない時に産まれそうになったらどうしよう…」と、まだ予定日は先なのにも関わらず、私以上に心配しながら不安そうな顔で1泊2日の出張に旅立った愛くるしい夫を、明日は息子と全力のハグで迎えたいと思う。

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