The Last of Us(初代)レビュー ゲームにおいて選択できること、できないことあるいは暴力の必然性


このゲームで最後に操作することになるキャラクターはエリーである。そこに選択の余地はない。

 ゲームにおいて選択できるものを考えるときに真っ先に浮かぶものは攻略である。教科書のような攻略がある一方でプレイヤーそれぞれが個性的な攻略を生み出すことも可能である。

 ゲームのいわゆる自由度の上昇は攻略の多彩さをもたらした。先に進むために様々な道が用意された。敵を倒すか倒さないか、右の道から行くか左の道から行くか、どの道具を使うのかあるいは使わないのか、こういった選択肢はゲームの発展とともに増加してきた。

 その意味では前世代機PS3で開発、発売された『The Last of Us』は最近のゲームと比べた時に決して選択肢が多いゲームだとはいえないだろう。特に近年流行りのオープンワールド型のゲームと比べた時は物足りなく感じるかもしれない。

 ところで私はこのゲームを一番簡単な難易度でクリアした。最初はハードでプレイしていたがかなり序盤でこのゲームの難しさに直面し進めるためにやむを得ず難易度を下げた。そこからはかなりゲームが簡単になり弾薬がそこら中に落ちているおかげでスニーキングに失敗して敵に見つかってもありったけの弾を浴びせることで乗り切れるようになった。

 

 このゲームでは結末に近づくにつれ「運命」という言葉が頻出する。運命とはまさに主体的に決めることのできない巡り合わせである。


 このゲームにおいて最後に操作できるキャラクターはエリーである。このゲームの大部分において操作できたキャラクターはジョエルであるにも関わらずだ。これはつまりプレイヤーはジョエルの「運命」の追体験を全うし、この先はエリー自身が避けることの出来ない「運命」に翻弄されることを予告しているのだ。

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