イメージの批評

今行われている映画とかアニメの批評を他方では拒否する。それがイメージの批評である。

それはかつて感想文と呼ばれていた試みをラディカルに肯定するものである。

イメージの批評は作品から受け取ったイメージをテキストとして再現する。

イメージの再現、それは作品が私に与えたものを反芻することによって、自ら作品を再構成するものである。

これは決して意図をないがしろにした受容者特権を説くものではない。

自分が作品によって得た経験が必ずしも作者の意図と離れるわけではない。
自分の経験と作者の意図が重なることを否定するものではない。
しかし、自分の経験よりも作者の意図が優先されることはない。
あくまでもイメージの批評は受容者(記述者)に寄り添うものである。
だから、イメージの批評では作品の評価よりも、作品から翻って受容者の複数性、唯一性こそが問題となる。
私たちは、私たちの経験が唯一であることを肯定するのだ。
繰り返しになるが、その経験が他者と重なりあることを否定するものではない。

イメージの批評は論理的であることよりも記述的であることを好ましいものとする。

イメージの批評が重要なのはこれが「批評」と称するにも関わらず、むしろ、批評と感想以外の語り方を増やすためである。
正しさを求めるわけでも、共感を求めるわけでもない、だからといって自分を見世物にするわけでもない。自分と作品との相関に対して誠実な、いや誠実でなくても構わない、とにもかくにも今とは別の語り方が必要である。

作品がある。作品と社会、他の作品との位置づけがある。あるいは自分と作品がある。それはどちらかだけではないはずだし、それが良くできた文章みたいにスムーズにつながるわけでもない。
パッと見きれいではない、でも、ぐちゃぐちゃに見えるけどぐちゃぐちゃでもない。そんな語り方が必要なのだ。

つまり自分の言葉で語ろう、ということである。
自己啓発本みたいな批評の書き方についての本は燃やせ!

2022/11/20

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