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遊ぶための舞台装置とGMの想定

 雑多な雑文です。

 「GMの思惑(あるいは想定という意味か)はどうだったのか」と尋ねられ、新鮮な気持ちになりました。
 PLが楽しんでくれればそれでいい。PL全員が楽しんでくれればそれでいい。そのために、GM(自分)が悪者にはなりたくない。
 決断はPC(PL)がすべきことであり、そのためにセッション準備の段階で確率と難易度とを交互に睨めっこし、わずかに緩めな数字や圧倒的な難易度の数字に意味を付加し、誤解のないようにシナリオを進行し、セッション中に微調整をすることだってあります。

 その結果がどうなったところで、楽しければ良くて楽しくなければ悪い。
 PLが本当に楽しんでいるかなんてよくわからないけど、付き合ってくれるならそれでいいかなと、全力で毎夜毎晩セッションの準備に取り掛かっています。

 ずーーーーっと、そんな気持ちでやってきた気がしますが、25歳ごろまでの自分は今の自分とは乖離していて、そのスタイルは今と似ているようで引き出しが足りなかったり、20歳ごろまでの自分はさらに乖離していて、決して手の届かないものに手を伸ばして、周りを振り回すような目も当てられないようなことをしていました。
 その背景には、それに付き合って下さる友人知人がいたからできたことでしょうし、ありがたいことに今でもそういった方々との縁は続いています。

 TRPGがやりたい!
 楽しみたい!

 そんな自分の思惑(想定)に対し、「どうしたらよかったのか」という疑問がもしかしたらPLからわくかもしれません。
 自分が他人の気持ちをよくわからないように、得体のしれないシナリオに暗中模索の中、手がかりを探るPCの中身であるPLは、そう思ってしまうのかもしれない。

 これを解決するのは、なかなか難しいお話しなのか、明確に答えが出せません。答えが出せないのでこうやって10月分のノルマとして文章化をしているのでご勘弁願いたいところではあります。

 「GMとPLの信頼関係」というものに甘えているのかもしれません。
 では、初見の人とは?
 自分のセッションの体験談を聞いた人は?

 日ごろの行いというのはそういうところにも出るのかなと思えど、人柄と技術はまた別で、創作はさらに複雑かと思います。

 そろそろ長くなって飽きてきたので一旦締めますね。
 続きはまたいつか書くかもしれません。

 パズルのピースのように、ただ断片が転がってるだけかもしれませんが、自分でもよく分かっていないので、ご容赦いただければ幸いです。


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