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選択と結果

前回と同じく、夫との話です。

自分の選択によって思うような結果にならなかった場合に、納得したり飲み込んだり諦めをつけたりすることを出来たり出来なかったりするのは一般的に何故だろう、という話になりました。
私は基本的に諦めが早く、自分のことならまぁしゃーないかと考えがちなのですが、夫や息子のことになるとなかなか難しいですね。

すると夫は、世の人の多数はそこまで選択していないと言うのです。
選択せずに流されている事が多いと。
選択していないのに悪い事が起こるので、納得できないという事が多々あると。
…これは目から鱗でした。

選択による結果として洗濯…

その話の中で、私の実父の話になりまして。
ウチの実父を簡単に申し上げれば、いわゆる「人としてダメな人」です。
私はずっと実父のことを「自分で決めた事の責任を取らない人」だと思っていました。
でも夫に言わせると「選択から逃げ続けた人」らしいです。
ただ流されて自分で考えて選択していないから、結果に不満ばかりで責任も取ろうとしない…と。
ええ〜そうなの?子供(私達)には「自分で決めた事は自分でケツを拭け」って言いまくってたけど、なんかカッコいいから言いたかっただけか。

とある人の選択によって、選択する場を与えられなかった多くの人が犠牲になる戦争というものは、きっと納得も飲み込みも諦めも出来ないでしょうね。

ケツ丸出しの息子…パンツ履いてください

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