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八木マジック

 葛西さんがまだ小学生のときの話。
 クラスメイトの友人にマジックが得意だと自慢する八木くんという男の子がいた。
 得意と言っても八木くんが出来るマジックは一つのみだったが、それが一風変わったもので他の誰にも真似出来なかったため、同級生の間ではちょっとしたヒーローだったそうだ。
 葛西さんを含め八木くんの特技を知るクラスメイトは、ことあるごとに「八木くんあれやって」とねだっていたという。
 
 マジックが始まると八木くんは決まって手の甲を上に向けて両腕を前に突きだす。
 そのままぐぐぐっと手を外側に向けて回す。すると徐々に手のひらが上を向く状態になるのだが、本来人間の関節の可動域では小指が真上にくる辺りで止まり、それ以上回すことは出来ない。
 けれど八木くんの場合はその可動域を無視して、いとも簡単にグルリと回ったという。
 それだけでなくそのまま2周、3周と同じ方向に手首をぐるぐる回転させることができた。

 葛西さんの記憶の中では、八木くんはいつも長袖を着ている。

 マジックの最中八木くんの腕は恐らく肘関節辺りで雑巾絞りのように「ねじれ」ているはずなのだが、長袖が邪魔して手首より上がどういう状態になっているのかは見たことがなかった。
 
 何度か八木くんが特技を披露している時に「腕を見せて」と頼んだがいつも頑なに断られたという。
 子供ながらに何かタネや仕掛けがあるのだろうと思ってはいたそうだが、今考えてもどういう仕掛けがあったのかは解明出来ずにいるという。
 
 この八木くんオリジナルのマジックは、当時同級生の間で「八木マジック」と呼ばれていたそうだ。

 それから10年程経ち、大学生になった葛西さんは友人数名との飲み会で小学校時代の思い出話になった。そこで例の「八木マジック」について話したという。
 友人たちも各々自分の手で実際に試してみるのだが、当然八木くんのように可動域を超えて手のひらをくるくる回す芸当は誰にも出来なかった。

 その日の帰り道のこと。

 飲み会を終えて自宅マンションに着いた葛西さんは、エントランスに入りエレベーターを待っていた。

 エレベーターの扉が開くと、中にはすでに女性が一人立っている。軽く会釈をしエレベーターに乗り込み、自室のある10階のボタンを押す。
 酒で鈍った頭でぼんやりと階数表示のモニターを見つめていると、妙な音が聞こえてきたという。
 
 軽いプラスチックが擦れるような、微かな音だった。
 
 不審に思い、音の出どころを探すとどうやら目の前に立っている背を向けたこの女性から聞こえているらしい。
 
 一体どこから鳴っているのか?女性の後ろ姿を注意深く見て気づいた。

 黒い長袖のワンピース。その袖口から女性の細い手首が覗いている。それがキュッ、キュッ、と細い音を立てながら回転している。

――何してんだこいつ。

 手首が回る度にキュッという甲高い音がエレベーター内に響く。

 そこで先ほどまで友人と話していた八木くんのマジックを思い出した。

――八木マジックだこれ。

 頭に両手を突き出した自慢気な八木くんの顔が浮かぶ。

 理由は全く分からないが今目の前にいるこの女性は、八木くんと同じマジックを自分に披露している。

 小学校時代、いくら頭をひねっても仕掛けが分からなかったマジック――。
 大人になった今なら「タネ」が分かるかもしれない。そんなことを思いながら回転する女性の手首を見つめる。

 義手?いや違うな。どう見ても生身の腕だ。薄く走る血管まで見える。
 
 いや、現代の医療技術であればこれぐらい精巧に作れるのかも。それこそシリコンみたいな――
 そこまで考えた時、聞こえている「音の質」が先ほどと違ってきたことに気づいた。

 キュッキュッ、という軽い音ではない。今はミチッ、ミチッ、という質量のあるものに変わっている。
 
 それと同時に女性が肩をぶるぶると震わせながら「ふっ……ふぐぅ!ふっ……」という嗚咽のような声を漏らし始めた。

 白く細い女の手のひらはいつの間にか紫色に変色している。
 明らかにうっ血した様子で腫れ上がっているのだが、女は構わず手首を回転させるので、エレベーター内には無理やり肉を締め上げるような不快な音と、痛みに耐え切れず漏れ出るような女の嗚咽が響く。

 そこで初めて得体のしれない目の前の女に恐怖を感じたという。

 10階につき扉が開き始めたタイミングで、葛西さんは体を捩じ込むようにして外に飛び出した。そのまま廊下を抜け一目散に自宅に逃げ込んだそうだ。

 その後も大学卒業までそのマンションに住み続けたが、この一件以来例の女を見かけたことは一度もなかったという。

「あれがマジックだろうがなんだろうが分からないけど。俺は二度と見たくないよ」葛西さんは苦笑しながら話してくれた。





















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