鬼 滅 て どう読むの?

鬼滅の刃」という漫画がアニメになって、世界中でそれぞれの国の声優が声をあてている、という番組を 家の年寄りが見ていて
「なんでこの漫画が流行ってるんだ」とか
「鬼 滅 の刃てどう読むの」とか
(いまテレビでいってんじゃん)
いうので
「鬼を 滅すると書いて 吸血鬼のキ でメツの やいば。。」
と答え
「そんなにおもしろいの?」ときかれたので
「ワタシは血が出るのを観るのが嫌なので一話目で挫折した。読んだことがないからわからないけど・・・」
と言いながら

「いまの時代は、どの人が いい人なんだか 悪い人なんだかわからないでしょう?鬼なのか、ふつうの人なのか。見分けがつかない。
やれ、コロナという見えない敵がやってきたと思ったら、味方だと思っていた政府からワクチンだ、ワクチンパスポートだ、ロックダウンだと 権利を奪われ、健康を奪われ、自由を奪われ。。
それでいて、一人一人は無力な存在で抵抗したって負けるに決まっている状況。
そんな今の時代感と合っていたからじゃないの。

特別な力があるわけでもない無力な主人公が愛する妹を守る為にひたむきに戦う姿に自分を重ね、感動するのかもしれない。」

読んでもいないのに、説明している自分がいた。

「あと、この日本の漫画特有の 強い感情表現が響いたのじゃないかな。
今の時代は、人とも会えない、どこにも行けない、管理されていてマスクをしなければならない、音楽も、すべての日常が感染症という名の元に奪われてしまった。この漫画のキャラクターたちの感情表現が強烈だから・・」

「感情が平板になってしまうような日常の中で
このアニメーションのむき出しの感情表現を見て、共感したり涙を流したりすることによって
(人間には、ミラーニューロンというのがあるので)
 自分の感情も解放されるのかもしれない」

「また、強い輪郭線の描き方にも感情が乗っている。いままでのアニメーションは優しい描線でよわよわしい。でもこの漫画の場合、この強い描線に(作者の)感情が表現されているように感じられる。それをアニメーションで忠実に表現したのが良かったのではないか」

などと

つらつら説明してしまった。

鬼滅の刃を初めて目撃したのは、アベマTVだった。
これは流行るなあ、と思ったので保存しておいて、全番組見るつもりでいたのだけれど、初回で挫折してしまった。とにかく血の海。それが耐えられなかった。

非常に表現が鮮烈で、恐ろしく(それだけ表現力が優れているのだが)ちょっと私には無理と思った。

あわせて、同年代以上の人にはわかると思うけれども、
どうにも昔観ていたものと重ねて観てしまう。
この漫画は好みなんだけれど、あの表現は、アレに似てる。。。などと思ってしまう。そして、子供の頃漫画家になりたかったので、売れている漫画を観ると嫉妬してしまうのもある。読むのが敗北に思えてしまう。

いつの日からか、漫画を読むのをやめてしまった。
漫画を描くのもやめてしまった。(描いているうちに、説明的になってしまったり、すごく陳腐なものを描いている感じがして、まどろっこしくなってしまいやめてしまう)

でも、あの漫画を描いている人は、いろいろなことを深く勉強した下地があって、表現したいことを強い意思をもって、描いているんだろうなと言うことは伝わってくる。なんという漫画家さんなのか知らないし、原作は読んでもいないけれど、やはりあの漫画の主人公のようにひたむきな、純粋で、真面目な人なのではなかろうか。
機会があれば、漫画本の方を手にしてみたいと思うけれども、今の私には日常をこなすのが精一杯で本を読む時間がなかなかとれない。。
(といいつつこんなところに文章を書いているけれども)


私がいま読みたいのは、旧家に置いてある「超人ロック」の古い作品。

こみいった線で説明されている今の漫画は疲れそうな気がするので。。

少ない線で、的確に表現されている。
聖悠紀氏の描線に抱いた感動。
私にとって、あの漫画を超えるものは未だない。。。。

などと
夜中に 漫画のことを思い出している。


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