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2021年総括

この記事を書いてる途中で2022年になりました。
日本酒飲みながら色々してたらこんな時間です。
明けましておめでとうございます。

0.二刀流の年

2021年は二刀流の年でした。
大谷翔平は投手と打者の二刀流。
私は研究室とアプリ個人開発の二刀流。

二刀流をする日本人という点は共通していましたが、一つ大きく異なる点があります。
大谷は超人で私は凡人だったということです。

1.ツイートで振り返る2021年

2月.エクストリームリバーシ(仮称)オフライン版完成
考案したオリジナルリバーシゲームをエクストリームリバーシ名付けて開発開始。
何がエクストリームなのかは不明だが、ローカルで動くものは出来た。

3月.Photonについて学ぶ
UnityもPhotonもなにもわからないってなった。


4-8月.オンライン対戦実装

研究室が始まって一気に忙しくなった。
正直ここらへんの記憶があまりない。

研究と開発の板挟みで辛かった。


強いていうのであれば、このタイミングでアプリの名前が「ダイナボ」に決まった。

9月.技育展
YMOにハマる。東風すき。
技育展という恐怖のプレゼン大会が迫り来る中、4日に渡る技育展の最終プレゼンが自分であるというプレッシャーで壊れる。

プレゼン本番はめちゃくちゃ緊張して噛みまくった挙句タイムオーバーしてアッパラパーでした。
が、なんやかんやあってはじめてのアウトプット優秀賞を受賞できた。嬉しい。

これはながら作業しながら結果発表を聞いていた当時の僕のツイートです。


10月.ダイナボWeb版
c++をうまいことプラグインにしてUnityで動かすのに苦労した
メモリリークエラーに精神攻撃を受けて、夜も眠れぬ日々が続いた。

とにかくこう、何もうまくいかないってなってた。

11月.admob導入
広告システムとしてadmobを導入。
研究と開発に押しつぶされて、この辺から本格的に辛くなってくる。


12月.壊れる
アプリのクオリティに満足できず、何をやっても不満しか残らなくなる。
完全にアプリ開発についてのノウハウ不足及び自分の実力不足。
頭の中の理想と目の前の現実とのギャップでどうにもならなくなっていた。
この時期はビートルズの「Let it Be」ばっかり聴いていた。
眠れなくなった。
全てを投げ出してハワイ旅行行きてぇなぁとか思った。
で、いったん投げ出すことにした。


気づいたらiOS版より先にGoogle Playでダイナボが公開されていた
12月26日のことである。

自分の底が見えてしまって、もうこれ以外にやりようがなかった。

2.加藤沈没 〜絶望したひと〜

このダイナボで全てを使い果たしてしまったような気がする。
もうからっぽになってしまった。
それでもなお全然納得いかない現状に絶望して、モチベーションもなくなってしまった。

大学入学してからの四年間、割と意欲的に勉強してきたつもりだったが、それでも足りなかったのかぁ….
私の四年間ってこんな薄っぺらいもんだったのかぁ….と。

アイデアとゲーム自体は面白いのに、それを綺麗に実装するための技術がない。
絶望的にない。

こうして私はゴリゴリに擦り潰れてしまった。
だいたい自分が悪いのでとても辛かった。
自分が悪いと、他人のせいにできないからもう自分で抱え込んで壊れる以外に道がないんですよね。
とてもつらい。

3.復活の日

2021年はもうひたすらアウトプットで、産みの苦しみに苦しんだ年でした。
もう毎日がエブリデイで頭痛が痛くて危険が危ないって感じでした。

2022年は復活の年になってほしいですね….
私のメンタル的にも、パンデミックでボロボロになった社会全般的にも…


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