見出し画像

『部品メーカー残酷物語』第六話 ©99right

第六話「千切ったノートには……」

 私の歓迎会だと言われたので、てっきり富江達が支払ってくれるものだと勝手に思い込んでいた。その上つい数時間前に二万円ほどの現金を財布から抜かれた私に請求された五万円を支払う能力はない。それに当時の日本にはクレジットカードと言う便利なものは普及していなかった。

 入社式が行われた丁度この日、給料の振込先として○海銀行の担当者が来て新入社員全員が口座を作らされた。その時銀行の担当者は私達に口座開設と同時にクレジットカードを作らせようとしたが全員が拒否した。理由としてはクレジットカードの存在自体があまり知られていなかったことや、使う度に支払い手数料を取られることだ。今では考えられないと思うが、そう言う時代だったのだ。
 ここで書き添えておきたいことがある。新入社員全員がクレジットカードを作らないと分かった時、○海銀行の担当者が私たちに向かって「仕事にならへんやんけ! 何のために今日来たんや!」と大声で暴言を吐いたことを私は今でも忘れていない。

 話しをスナックに戻そう。
 現金もクレジットカードも持っていない私は、昼間に会社から渡されたばかりの社員証と保険証を女店主に預けた上で「明日必ずお金を持って来ます」と念書まで書かされた。最初は困った顔をして無言で拒んでいた私だったが「じゃあ会社に電話する」と言われて仕方がなかった。

 それもこれもアイツのせいである。ついさっきまで培っていた仲間意識は一瞬で吹っ飛んだ。私は憎たらしい富江の顔を思い浮かべながらどうやって仕返しをしてやろうかと歯軋りしながら歩いて会社へ戻っていった。
 商店街を抜けて躑躅の咲き始めた植木のコーナーを左に曲がろうとして私は「ハッ」と気が付いた。寮に戻るには警備員が常駐している正門を通らなくてはならないのだ。もちろんそれにはさっき女主人に渡してしまった社員証が必要だ。私は一気に酔いが覚め背中に嫌な汗をかき始めた。

「どうしよう……」

 まさかさっきのスナックに戻って社員証を返してくれとも言えない。もうこうなったら警備員に全部事情を話して通してもらうしかない。私は警備員室の前まで行き、目を合わせない様に視線を斜め下に向けながら「あっ あの〜」っと勇気を振り絞って事情を説明しようとした。
 その時の私は恥ずかしくて悔しくて、おそらく真っ赤な顔をしていたことと思う。

 ところがその瞬間、私の後をジャージ姿の若い男性が二人、社員証も見せずに通り過ぎて社内に入って行ったのだ。私は不思議に思いその二人と警備員の顔を交互に見たが、警備員は一切引き止める様子を見せずポケッとしている。
 つまりだ、正門とか警備員とか言ってもそんなものは見た目だけでチェックは本当にいい加減だった。社員っぽく振る舞ってさえいれば誰でも通れると言っても、もしかしたら過言ではないかもしれない。事実その後も私は何度となく警備員室の前を通り過ぎたが、一度も社員証を要求されたことはない。
 ちなみに私はこれまで多くの自動車会社や有名企業に出入りしたことがあるが、正直言ってこんなに無用心な会社は一社もなかった。

 時刻は22時を過ぎていた。大魔王は寮長室に居なかったので特に文句を言われることもなく部屋に戻れた。引き戸を開けて中に入ると暗闇に豆電球が光っていた。あっちからもこっちからも寝息が聞こえているが、私の怒りは収まらない。富江を叩き起こして文句の一言も言ってやろうと二段ベッドの上、富江のスペースのカーテンを勢い良く開けようとしたところ、先に私の所だけカーテンが少し開いているのが気になった。瞬間嫌な予感がして中を覗くとB5のノートから千切り取ったであろう紙片が一枚、布団の上に置かれていた。

 サトコ へ
       ごめんな ありがとう ご馳走さま
                          富江

「……怒れないじゃん」

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?