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『部品メーカー残酷物語』第七話 ©99right

第七話「初任給」

 私は、富江のその短い手紙を読んで実にいろんな事を考えた。

 高校を卒業し集団就職で地元を離れてこの会社のタコ部屋寮に放り込まれた彼らの日々は薄幸だったのではないだろうか。
 毎朝7時に起こされ、眠い目を擦りながら食堂でさほど美味しくもない朝食を摂る。作業着に着替えて工場に出勤。油塗れになりながら午前四時間、午後四時間の仕事をこなす。当時は毎日二時間程度の残業は当たり前なので一日十時間労働だ。ちなみに工場は二十四時間稼働の三交代制だから、三ヶ月に一回、一ヶ月間の夜勤が回ってくる。
 仕事が終わったら食堂で夕食を貪り、競い合うように風呂に入る。湯上りで自分を癒すプライベイトな場所はタコ部屋の中になど無い。毎夜のように仲間と連んで会社の外に出ては居酒屋やカラオケ店、プールバーやダーツバーに行ってはアルコールを一杯二杯引っ掛ける。短時間で盛り上がってすぐに寮に取って返し、明日に備えて早めの就寝という毎日。
 休日はなるべく早起きして溜まった汚れ物を洗濯機に放り込む。ボロくなっても新調してもらえない洗濯機の台数は限られているし、大事な休日を寝過ごして一日中このタコ部屋に居るハメにならないようにしたいからだ。
 洗った衣服をハンガーとロープを使って自分のスペースに干すと、女子は鏡台を取り合って化粧を始める。交際相手のいない女子は年頃でも化粧やオシャレも縁遠いが、若い男女がすぐそばに居る寮では比較的男女の交際は始まり易い。
 男子寮生は他社の自動車を選ばずに、こぞって〇〇自動車のスポーツカーを、ローンを組んで購入する。社員割引などは無いが「紹介キャンペーン」と称して十万円が支給されるからだ。休日には気に入った女子寮生を誘ってドライブする。もちろん二人の関係の深さによって行き先も変わる事だろう。その中で結ばれるカップルもあれば別れるカップルもある。それぞれの生き方が幸せかどうかは本人達が決める事である。
 そして、この生活の繰り返しで生み出される給与の中から、多くの高卒社員達が故郷の両親に仕送りをしている。

 読者の皆さんも多分気になっていたことと思うので、ここで当時の初任給について振り返っておきたい。
 独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の統計情報から抜き出してみる。先にお詫びをしておくが、折れ線グラフから読み取ったと言うことと、詳細に書いてしまうと私の入社年度が分かってしまうので、ザックリとだけ書かせていただく。
 グラフから読み解ける当時の初任給は以下の通り。

 四大学卒 約16万円。 短大卒 約14万円。 高校卒 約12万円。

 正直これは全国の平均値なので、自分の記憶としてはここから1万円ほど高かったような気がする。
 ちなみに後日、研修期間中に同期連中が地元の工業新聞にその年の〇〇グループ全社の初任給の一覧が出ていると言って騒いでいたところ、私もその新聞を覗かせてもらった。結論として当社の初任給は〇〇グループ内で最低金額で、トップである〇〇自動車は我々の初任給にプラスして2万円上乗せされていた。つまり〇〇自動車の初任給は約19万円、比べて当社は約17万円と言うことになる。この事実を知った新入社員全員がブーイングの嵐だった。もちろんそんな事を芋洗係長やマッチョ係長の前で口にするわけもない。しかしこの会社へ入社してしまった事への後悔は、同期の新入社員の中でジワジワと広がっていたのは確かだ。その証拠に、この後私は大勢の同期連中から何度となく不平不満を聞かされることになる。
 一応念のために書いておくが、この時の私はまだまだ希望に燃えていた。東田参与の期待に応えるべく、私の気持ちは熱かった。

 話を戻そう。

 〇〇自動車の四大卒の初任給が約19万円。同じ四大卒でも私の初任給が約17万円。富江達の給与はおそらく4万円ほど少ない約13万円。つまりこの日、私の歓迎会をやってくれた富江とその後輩達の給与は、私の7割5分ほどの給与しかない。ここに残業代が乗っかっても月額せいぜい5~6万円も稼げれば良い方だ。つまり富江達、高卒社員にとって月に20万円はなかなか稼げないのだ。
 そこで今回のスナックの料金5万円を考えた。
 もちろん私の給料から5万円の出費は痛い。しかし、私のために集まってくれた富江達に、私からの初対面の挨拶代だと思えば安いものかもしれない。
 そう思った私は結局富江を起こすことなく、そのまま自分のスペースに入って眠りに就いた。
 明日から、早速研修の始まりである。

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