酒は好きだが酒には弱い
「酒飲みはろくなやつがいない」
だから娘が酒を飲むようになって、母は苦笑いを浮かべていた。
母が酒飲みを嫌う理由はただ1つ。
身内が酔っ払ったら、だいたいトラブルが起こるからである。
酒を飲んだら強くなったと勘違いするのか、最初はからかう所から始まり、飲めない人には「俺の酒が飲めないのか!」と怒りだし、気を使って水を差し出そうものなら「誰が酔っぱらいだ!?」とグラスを叩き割り始める。
昔のことを引っ張り出しては、自分が如何に素晴らしい人間かの話を宣いながら、年端も行かない子供達に面白がって酒を飲ませて反応を見て馬鹿みたいに笑う。
最近ではそんな事をして写真をネットに上げようものなら、間違いなく燃え盛る。
けれども私が子供の時、となると大なり小なり、まして田舎ではそういうことがままあった。
「ジュースだから」と騙されて飲んだ私は酒飲みが嫌いになり、お酒の飲めない母は泥酔した実の姉に罵詈雑言を浴びせられながらも、泣きながら耐えていた。
「酒飲みは、酒を飲んだらなんでも許されると思っている」
これは、母の口癖だった。
しかし私が成人を迎えたら否応なしに、親戚中から度数の高い酒を飲まされながら、愛想笑いをするハメになり「やってられんわ!!」と、親戚との付き合いは殆どしなくなったのである。
そんな私にも、お酒に興味を持つ瞬間が来た。
偶然遊んだゲームの中に【BAR】という場所があり【バーテンダー】と呼ばれる人が、軽快なリズムでシェイカーを振り、色鮮やかなカクテルを作るという未知の世界だった。
この不思議で魅力的な世界が、私には本当に魅力的に思えてならなかった。
しかし、田舎者にはその小さなドアを開けるどころか探す勇気もなかったのである。
何年か前に、歌を通じて知り合った友人が、わざわざ調べてくれて、わざわざ地元に近いバルを見つけて、そこで食事をしながら飲んだのが、初めてのカクテルだった。
何を飲んだか、どんな味だったのか正直覚えていない。
料理は美味しかったが、多分店の雰囲気と合わなかったのだろう。
それから田舎者は、電車でちょっとだけ都会に仕事に出るようになった。
残業が終わり、地下鉄には乗りたくないからと別の駅まで行こうと思い、散策も兼ねて歩いていると、地下の小さな扉に続く階段があった。
その扉は店の様子が全くわからず、小心者は1人ではその扉を開ける勇気がなかった。
しかしあまりにもその扉の向こうが気になり始め、私は友人に頭を下げ予約をして、その店の扉を開けることにしたのである。
テーブル席に案内され、戸惑いながらも料理を注文して、私は1杯だけカクテルを注文した。
目の前に現れた、淡い紫のカクテルはとても美しい色をしていた。
一口、恐る恐る口に含んだ。
突き抜ける爽やかさ、ほのかな甘い花の香り。
今まで飲んだどんなお酒よりも美味しくて、私はとても幸せな気持ちになった。
ちなみにこの時頼んだカクテルは、ブルームーン。
甘口だが度数も高いカクテルで、美味しさに心奪われてしまっていた私は、友人に
「すごいよ、飲んでも飲んでも減らないの!」と告げめちゃくちゃ笑われた。
結局、ブルームーンは私にとっては甘いが刺激的だったらしく、友人に変に甘えながらも楽しい時間を堪能した。
それから縁もあり、お酒のことやバーの楽しみ方、「酒は嗜み」と教えてくれる人と遭遇したことにより、すっかりそのバーの常連になったのである。
そして冒頭の私の身内は、酒飲み、ではなく酒に飲まれた哀れな連中なのだと知った。
しんどいことや嫌なことがあっても、バーに行ってカクテルを一口、口にすれば幸せな気持ちにやんわり包まれる気がした。
そのため何かあると「お酒飲みたいよおぅ」と愚図り出すようになった。
現実逃避と言われればそれまでだが、扉の向こう側はまさしく非日常である。
現実は私にとっては、辛いものでもあるから。
吉川英治氏の折々の記という書の中に【酒に學ぶ】という文がある。
そこには酒に対する心構えみたいな事が書いてあったので、気になる方は是非目を通してみて欲しい。
吉川英治氏は、酒を愛していたが飲むのは三献でいいと仰るくらい酒には弱かったそうだ。
その時に私は
「お酒に弱くてもお酒を好きでいいんだ!」
と感銘を受けた。
こうして私は、酒が大好きだと素直に言えるようになったのである。
自分が好きな人達と飲むカクテルも楽しいし、1人で店に行きカウンターでバーテンダーさんとお話しながら飲むカクテルも楽しいと知った。
本当なら、カクテル以外のお酒も飲みたい気持ちはある。
しかしお話したように、私はめちゃくちゃお酒に弱い。
ウィスキーやブランデー、日本酒などなど飲んでみたいお酒はある。
今年はもう少しだけ、ちょっとずつ冒険しようと思いつつ、毎回最初の1杯になる【冒険】の意味を持つ鮮やかな赤いカクテルを口にするのであった。
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