【R18】 夢でもし逢えても
ホテルのラウンジのような場所で、あなたはソファに座っている。
わたしはその前にある低いベッドに腹ばいになって、あなたと話している。
30センチ身長差のあるあなたがわたしを見下ろす、いつもと同じ角度。
あなたが立ち上がる。
ああ、もう行ってしまうのかと思ったら、後ろからベッドに乗ってくる。
うれしくて抱きついたら、あなたではなく知らない男だった。
わたしの身体の真ん中には底なし沼がある。
そこが一番熱いこと、そこが一番柔らかいことを思い出させてくれる男は、だけどいつだってわたしのものにはならない。
幾晩もあなたの夢ばかり見た。
夢の中ですら、あなたは少しもわたしを好きでいてくれない。いつもわたしを置き去りにする。
そのたび、左の胸が握り潰されるような寂寥感で目が覚める。
それなのに、右耳のまだ開けて間もなかった三つ目のピアスを袖口に引っ掛けて、慌てて「ごめん」と謝ったあなたを優しい男だと思ってしまった、あの日のわたしが悪い。
二人並んで歩道を歩いている。よく通るようでいて、知らない道。
あなたといる時のわたしは、上機嫌で不安で悲しくて切なくて腹立たしくてうれしくて、いつもいろんな感情がごちゃ混ぜになって、身体中の穴から溢れ出しそうになっている。
いきなりわたしが車道に飛び出して、
「わたしが一番好きなのはあなただ」
と大声で言う。
あなたはくるりと向きを変えて、今来た道を歩いて行ってしまう。
電気がつけっぱなしだった。
暗くしてと言う暇もなくて、というか、そう思う余裕もなかった。
天井のシャンデリアが眩しくて、でもそのせいだけではなく、わたしは目を閉じていた。
目を閉じれば夢も現実も同じ。
だからいまだにわからない。あれが夢だったのかどうか。
あなたの声はいつも上から降ってくる。
それが今は耳のすぐ後ろから聞こえていた。
低くて籠った声。電話ならおそらく聞き取りにくいタイプの。
だけどわたしの無防備な部分にストレートに入ってきた。
「なにも言ってくれないね」
口を閉じれば嘘も本当も同じ。
でもそんな理由で黙っていたのではなくて。
「答えてくれないと俺うれしくないよ」
どうしてあなたを喜ばせなきゃいけないの、なんて質問は意味を成さない。
あなたが喜んでくれたら、わたしはうれしい。多分。
TVでは朝の天気予報。
ここに入った時点ですでに夜明け近かった。
目を開けると日本列島の地図の上、お日様にこにこマークが並んでいる。
東京地方今日は晴れ降水確率0パーセント最高気温9度最低気温2度。
世間の皆様はそろそろ起き出す頃。
最初に吐息が、次に唇が首筋に触れて、それでわたしは力が抜けてしまった。
上半分だけ肌を晒した中途半端な格好で、あなたの胸に背中を預けている。
指はさっきからずっと動いている。
あなたの指。わたしのスカートの中。
「どこが気持ちいいの?」
指は執拗に同じ部分を刺激し続ける。
「言わなきゃ、ほら」
あっという間に昂まりが昇ってくる。
「ここ、なに?」
標準語と違うイントネーション。語尾が上がるアクセント。
「言って」
命じられた五文字のカタカナ言葉を口にしかけて、小さな痙攣が来た。
左手があなたの手を探す。
指先が触れると握り返してくる大きな手のひら。わたしよりずっと太い指。
のけぞるわたしの頭を受け止めている厚い肩。
「ああ、気持ちいいんだ」
肩を引かれてベッドに倒される。
左手で腕枕をして、わたしの上に半身を起こし、キスをしてくる。
その間も右手はわたしを刺激し続ける。
唇を塞がれて軽い酸欠に陥り、またわたしは達しそうになる。
「もうイキそうになってる?」
わたしの答えは吐息にしかならない。
あんなにタバコを喫っていたのに、舌がちっとも辛くなかった。そんな意味のないことを考えていた。
「イキそうな顔してるよ」
今度は顔を見られているんだ。
そんなことを恥ずかしがるような歳でもないけれど。
閉じた瞼のこちら側にまであなたの視線が刺さってくる気がして、もっときつく目を閉じる。
「言ってごらん。もっと気持ちよくなるから」
舌先が乳首に触れた。
ピクン、とわたしの身体が跳ねる。
「クリトリスって言って」
いや。
「クリトリス」
だめ。
「クリトリス気持ちいい?」
やめて。
「クリトリスクリトリスクリトリス」
お願い。
視床下部からインプットされた情報が大脳皮質を素通りして大脳辺縁系へ流れ込み、毛細血管を伝って身体中に溢れ出してゆく。
腰の辺りで起こった痙攣がぞわぞわと背筋を這い上り、延髄から直接脳にフィードバックする。
その情報を受けて脳がさらに指令を送る。
永遠に続くかと思われる快感。息ができない。
「クリトリス好き?」
好き。
「クリトリス気持ちいいね?」
好き。
「もう頭ん中いっぱいだ」
そう、あなたでいっぱい。助けて。
「クリトリスって言って」
「クリトリス」
「もっと大きな声で」
「クリトリス」
「もっといっぱい」
「クリトリス、クリトリス、クリトリス、クリトリス……」
とびきり大きな波が来た。
わたしは口が利けなくなる。
「かわいいなぁ」
頭の中が空っぽになるというのは、こういうことだろうか。
クリトリスの五文字でぐちゃぐちゃになっていた思考回路がいきなり切断されて、画面上には巨大なエクスクラメーションマークだけが投げ込まれたように浮かんだ。
そんなイメージ。
指が入ってくる。
熟しきったトマトのようになったそこは、なんの抵抗も示さない。
貪欲な生き物のように、腰がひとりでに動いてもっと奥まで咥え込もうとする。
飲み下してしまえるくらい、深く。もっと深く。
そして一番奥のスイッチが押される。
弾かれたように、わたしの身体が弓なりになる。
「イクの?もう?」
答えている暇なんてない。
腰が浮く。
両手が宙を掻いて、乳房の上のあなたの頭を捕まえる。
少しだけ癖のある硬い髪を両手に抱きしめる。
愛おしい。
わたしのその感情が、指の先からあなたの髪一本一本に染み込んで、そこから脳へと伝わればいい。
口にすればそこで夢は終わってしまう。
いつも通り、わたしひとりが取り残される。
そう、わたしは知っていた。
絶望と愛情が同義であることを。
決してあなたはわたしを愛してなどくれないことを。
決してわたしはあなたの大切なひとにはなれないことを。
あなたが髪に触れられるのを嫌っていることを。
だからわたしは手を離した。
ゆっくりと、手を離した。
階段の途中であなたと会う。
白っぽいベージュ色の壁の、学校か病院にあるような回り階段。
階段の夢はよく見るけれど、下りの時は決まってこの場所だ。
あなたは手すりの向こうからわたしを見下ろして、
「金曜日に」
と言う。
「なにが?」と訊きたいけれど訊けない。
あなたは階段を上ってゆく。
わたしは階段を下りてゆく。
END