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【4711】 情熱の赤いバラ #2
その頃俺は世界を憎んでいた。
進学のことで父親と衝突して、親の援助は受けずに大学へ行くと言って家を出てきた。
高校時代のバイト代と貯金で入学金と初年度の授業料はなんとかなったが、アパートの敷金礼金で貯金は底をついた。
3つ掛け持ちしているバイトで家賃と生活費はペイできた。だがまとまった金が作れない。つまり、春に支払う半期分の授業料、20万円ほどが捻出できなかった。
2ヶ月ある春休みの間、バイトをもうひとつ増やせばなんとかなるだろうか。
なんともならなかったらどうしよう。
他のやつらが遊び呆けてる長期休暇に休みもなく働いて、それでも20万作れなかったら。
だいたい俺は勉強しに大学に入ったのに、毎日毎日働いて疲れて、勉強どころじゃない。
こんなんで4年間やってけるのか? 俺の考えが甘かったのか? どうして俺だけがこんな目に遭う? 親はそんなに絶対なのか?
キレイな顔に生まれて背が高くて頭が良くて、足りないものなんてない、恵まれすぎてる、幸せだねって言われてきたけど、全然幸せなんかじゃない。
背が低くても顔がまずくても、みんな親の金で普通に大学行ってるじゃないか。
なんの罰だよ。この顔に生まれたせいか? 別に俺が望んだわけじゃない。
三上から誘われたホストのバイトは、渡りに船だった。泥船なのかもしれないが、悩んでいる暇はない。
俺の源氏名は、輝くと書いてヒカル。
三上は颯爽の颯でハヤテ。
他には、煌めくと書いてアキラ、焔と書いてホムラなど、中2病患者が喜びそうな名前ばかりだった。
店の名前は皇。
そこではナンバーワンホストは帝と呼ばれていた。
最年少だった俺には皇子というニックネームが付いた。
愛子さんはその頃の指名客だ。
俺のエース、ではあったが、ある事情により店にはあまり金を落とさなくていいと言ってあったので、売り上げはさほど多くはなかった。
上位ホストの売り上げにはほど遠い。
だが俺はそんなもの全く興味がなかった。
俺にはカリスマ性も落としのテクニックもない。だからといってコツコツやってる余裕はない。
5月には授業料を振り込まなくてはいけない。
どこかで勝負に出る必要があった。
この大学で物理をやっていくために、利用できるものはなんでも利用してやろうとホストを始める時に決めた。
三上に言われたように、自分のルックスと東大生という肩書。
それに惹かれる女たち。
誰にも俺を邪魔する権利なんてない。
じゅんはナンバーワンホスト彌の客だった。
俺とふたつしか違わないはずだから、今28か9。
吉原の泡姫。18でデビューして以来、それ1本でやってるというプロだ。
稼いだ金も相当だろうが、ホストに貢いだ額もかなりのものだと思われる。
まだ日が高く暑いので、近くの適当な喫茶店に入った。
じゅんはストロベリーサンデーを注文した。
俺はストロングブレンド。真夏でもコーヒーはホットしか飲まない。
ほどなくして、注文したものが運ばれてきた。
「キャー、ヤバいカワイー!」
じゅんの前に置かれたそれは、おそろしくゴージャスなシロモノだった。
パフェグラスの底にイチゴソース、その上にイチゴアイス、砕いたココアクッキー、イチゴソースがかかった大きなバニラアイス、山盛りのホイップクリームの上にはまたココアクッキーとナッツ、てっぺんと縁にはフレッシュイチゴが乗っている。
おそらくカロリーもゴージャスだろう。
あいつに教えたら喜びそうだな。
「ヒカルくんて今何やってんだっけ?」
スプーンでホイップクリームをすくいながらじゅんが言う。
中指に着けたカルティエのトリニティが光を弾いていた。
「高校の先生」
誰と行ったの? って訊かれたらどうする?
隣のテーブルの客が食ってたって言えばいいか。
別に隠すような相手じゃないが、ホスト時代の客だし、変に詮索されると面倒だ。
「マジで!? 何教えてんの? 女の口説き方?」
「いや、二日酔いの治し方」
「キャハハ、ホストはそれ重要!」
明るく染めた髪が陽射しに透けて金色に見える。
そういえば、こんな明るい陽光の中で会ったのは初めてだ。
じゅんはよく俺がわかったな。
「じゅんじゅんはまだ仕事続けてんの?」
「うん、お風呂やってるよ」
あいつにこの店教えたら、彼氏と来るんだろうな。
ムカつく。
なら俺と来ればいんじゃね? それなら俺のおごりだし。
日曜日? いや、あのふたり日曜はデートだよな。
でも結構すれ違いみたいだし、何週間か様子見すればイケるかもしれない。
「俺が辞めて5年だろ? じゅんじゅん全然変わってないな」
そうか、5年経つんだ。自分で言っといて驚いた。
「えー、そう? ヒカルくんは前よりカッコよくなったよ。あの頃はカッコいいよりかわいい感じだったから」
「そうかね。オッサンになったけどな」
「やだあたしオバサンてことじゃん! ヒカルくんより年上だし」
「いや違う! ゴメン! そんなことないから!」
じゅんはけらけら笑った。
そう、そのひねた所のないストレートさ、全然変わってない。だから俺より若いような気がしてるんだ。
飲むと笑い上戸で、やたらげらげら笑ってたよな。
ヘルプで付くと、俺まで一緒になって笑ってた。何も考えなくていいから楽しかった。
自分の客じゃないからもあったが、それだけじゃない。じゅんと居るのが単純に楽しかったんだ。
新規の客をいかに落とすか、権謀術数を巡らす日々の中で、じゅんのテーブルは安らぎだった。
5年。愛子さんはもう50近いのか。
会社はうまくいってるのかな。まあうまくいかなければオヤジさんがテコ入れするだろう。
幸せに暮らしててくれればいいけど。
会いたいわけじゃないが、気にはなった。もし幸せじゃないとして、その原因の一端が俺にあるなら申し訳ない。
あの頃俺はエゴイストと呼ばれていた。愛子さんに対してなら、確かにそうだった。
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