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【R18】  永遠の三日月 ⑥ end

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 良太の車は赤いミラージュだった。
 運転席に座ると、すぐにネクタイを外してポケットに入れた。それからシャツのボタンをひとつ外すと言った。

「どうもスーツはダメだな。着慣れてないから」

 リアシートにはキルティングのカバーが掛けられていて、スナック菓子のかけらが散らばっていた。彼の妻と子供が、自分たちの存在を主張しているかのようだった。
 彼の娘は今年小学生になったはずだ。

「仕事あるの?」

 もしかしたら本当に送っていくだけのつもりかもしれない。

「嘘だよ。お前が俺の方ばっかり見てたから」
「バレちゃったかしら、みんなに」
「さあな。あいつら、昔っからニブかったから」

 そう言ってタバコを咥えた。

「会社辞めたんだ」
「そう。年末にね」
「残ってるの、女じゃ夏実だけだったのに」
「売れ残ってるのもわたしだけよ」
「そうか。美散も結婚しちゃったしな」

「あなたのせいよ」 と言いたかった。でも言えるはずがない。
 初めから良太は友達の恋人だった。好きになったわたしが悪いのだ。

「ガードマンて、工事の?」
「そうよ、道路工事」
「土方と寝てるんじゃないだろうな」
「寝てるわよ、悪いけど」
「相変わらずだな、お前も。男遊びばっかりやってると、ロクな死に方しないぞ」
「いいわよ。腎不全なんかより、男に殺される方がマシだわ」
「まあ、お前ならそうかもな」

 良太が殺してくれたらいいのに。

 走り出してしばらくすると、電話の着信音が鳴った。
 彼が上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、「もしもし、パパあ?」と、子供のハイトーンな声が聞こえてきた。責められているような気分になる。

「愛ちゃん?ダメだよ、電話しちゃ。パパは忙しいんだから。何か用?……うん、ママにね、ちょっと遅くなるって言っといて。うん、うん、そう。いいよ代わらなくても。早く寝なさい。そうだよ、ちゃんと歯磨いてね。うん、じゃあね」

 通話が終わると、彼は電源を切ってしまった。うれしい反面、少し不安になる。

「いいの?奥さんに怪しまれない?」
「通夜の最中に携帯が鳴ったんじゃ失礼だろ?」
「そうね。お通夜なんだものね」

 窓の外には白い三日月が出ていた。ゆうべ切った爪の形に似ていると思った。
 良太と会う時、わたしはいつも爪を深く切る。彼の肌に爪を立てないようにするためだ。肩や背中に爪跡が残れば、奥さんにバレてしまうかもしれない。
 そんなバカな真似はしたくなかった。彼に嫌われることだけはしたくないと思う。


 ホテルに入ると、洗面所で化粧を落とした。白いワイシャツに、ファンデーションや口紅が付いてはいけない。
 顔を洗っていると、背中で良太の声がした。

「何やってるの?」
「口紅付いたらいけないでしょ」
「ふうん。細かいな。不倫は慣れてるもんな」

 侮辱されたのかもしれない。
 でも、どうせ彼とは不倫でしかないのだ。腹を立てる必要なんてない。
 ベッドの中で、キスをしてから言った。

「本当は、来るのやめようかと思ったんだ。真島の通夜だから、当然お前も来るだろうと思って」
「わたしに会いたくなかったの?」
「会いたくない」
「どうして?」
「会えば絶対こうなるからな」
「わたしのこと、嫌いなの?」
「そういう問題じゃないだろう」

 立場が逆転していた。昔は「好きか?」と訊くのはいつも良太の方だった。これでは、わたしが脅迫しているように見える。
 でも、それもいいかもしれない。

「わたし、結婚するの」

 ショーツの中で動いていた手が止まった。

「いつ?」
「まだそこまでは決まってないけど」
「本当に?」
「本当よ。向こうの両親にも会ったわ」
「ふうん。そりゃよかった。おめでとう」
「ありがとう。披露宴には来てくれる?」
「ああ。行ってスピーチしてやるよ。夏実はどうしようもない淫乱だから、気を付けろって」

 本当にそうしてくれたらいいのに。


 今まで一度も結婚の話が出なかったわけではない。プロポーズされたことも何回かあった。けれど、その度にいつもわたしの方が逃げてしまった。
 良太のことが忘れられなかったからだ。
 彼以外の男と一生セックスし続けるなんて、耐えられないのではないかと思えた。
 でも、わたしはもうすぐ三十になる。いつまでもそんなことを言ってもいられない歳だった。


「結婚するんなら、もうこんなことはやめよう。な?」

 言いながら、彼はショーツを脱がせていた。肌から剝がされたショーツは、愛液で濡れて糸を引いた。

「いやよ。良太だって結婚してるじゃない」
「男と女は違うだろ?」
「違わないわよ。会ってくれないんだったら、結婚なんてしない」
「バカ言うなよ。そんなんじゃ、一生結婚できないぞ」
「いいわよ、それでも」
「どうして」
「良太が好きなんだもの」

 「俺も好きだ」とは、彼は言わなかった。
 代わりに、膣ではなく、肛門に指を突き立てた。途端に、背筋を快感が駆け上る。

「その男、俺よりいいのか?」
「よくないわよ。全然よくない」
「じゃあなんで結婚するんだよ」
「仕方ないじゃない。良太とは結婚できないんだから」

 彼の言うことは矛盾している。勝手なのだ。いつでもそうだった。勝手で強引。
 でも、わたしはそういう良太が好きなのだから。


 五歳下の、尚人という男と付き合っていた。
 初めて寝たのが彼が二十歳の時だから、もう五年近く続いていることになる。
 洋輔に似た、お坊ちゃんタイプの男だった。しかも、童貞だったということまで同じだった。
 まだ良太と会っていた頃、遊びのつもりで手を出した。ところが向こうは本気だった。
 だから、良太と連絡が付かなくなってからは、わたしも真面目に付き合うことにした。
 良太のような男に振り回されるのは、もういやだった。このまま結婚してしまえば、良太を忘れられるのかもしれない。そう信じていたかった。
 でもだめだった。わたしは良太とのセックスでしか、いかない身体になっていた。

 尚人とのセックスは、天井の低い部屋でトランポリンをしているようなものだった。飛んでいるのはわたしの方だ。
 もっと高くまで飛べるはずなのに、天井が低いせいで頭がつかえてしまう。いつもそんなイメージが脳裏に浮かんだ。
 終わった後には、思う存分飛べなかったという不満ばかりが残っていた。
 良太でいってしまったせいなのかもしれない。
 洋輔の時と同じように、尚人に会った後は指を使って身体を黙らせるしかなかった。
 それに、彼は優しいだけの男だった。良太のような強引さのかけらもない。それも不満だった。
 本当は、愛してなんかいないのだと思う。だってこうして良太と寝ているし、他の男とだって寝ているのだから。


 “土方” の名前は河田さんという。
 四十代後半。マークⅡに乗っていて、マールボロのライトを吸っている。よく行く現場の親方だった。
 年の割には子供みたいな性格と、強引な口説き方に惹かれたのだけど、セックスはどうしようもなく下手だった。
 そのくせ何を勘違いしているのか、「脱げ」だの「咥えろ」だの「声出せ」だの注文が多い。
 あまりひどいので、二度目に寝た時にお金を要求したらあっさり払ってくれたけど、いくらもらっても次は無いと思った。


 車の中で言われた通り、相変わらずわたしはつまらない男とばかりセックスしている。
 良太以外の男とでもいけるのだったら、それで終わりにできるのかもしれない。
 でも、まだそういう相手は現れない。だからまた良太と寝てしまう。


「また後ろでするの?」

 六年前に許してしまってから、良太はわたしの直腸ばかりを犯していた。
「いやだ」と言いながらも、わたしはその度に何度も達してしまう。その方が、征服されているという気持ちが昂まるのかもしれない。
 それはたぶん良太の方でも同じなのだろう。彼は正常なセックスの時よりも乱暴になる。

「いやなのか?」
「いや」
「じゃあしてやらないぞ」

 わたしの脚を肩に乗せた。ローションと愛液が混ざり合った部分に、彼が当たる。
 良太はわたしとしかアナルセックスをしていないと言う。だからそれは、唯一わたしが彼の奥さんに勝てる所だった。
 わたし以外に女が居るのかどうかは知らない。

「俺が好きか?」
「好きよ」

 粘膜を押し開いて入ってくる。灼け付くような痛みに身体が固くなる。

「いや。こんなのいや」
「好きなんだろう?」
「好きなのは良太よ。こんなのじゃない」
「うるさい」

 力ずくで奥まで貫かれた。彼が腰を使うと、次第に身体が熱くなってくる。
 いつもそうだった。直腸を刺激されると、体温が二度くらい上がったようになって、全身にしっとり汗をかく。
 身体が芯から熱を帯びてくる感じは、膣でのセックスとはまるで違っていた。

「『好き』って言ってよ、良太。わたしが好きだって言って」
「いやだ、お前なんか好きじゃない」

 入口の痛みはまだ残っていた。彼が腰を引く度に、ヒリヒリした痛みが繰り返す。
 紅く口を開いたスリットが、満たされたいと涙を流している。

「それならどうしてこんなことするのよ」

 それでもわたしは感じていた。大きな波が押し寄せてきて、足を掬われそうになる。
 一番してほしくないことをされている快感。理不尽な喜び。
 一番してほしくないことは、一番してほしいことなのだろうか。

「好きじゃないなら殺して。良太以外の男なんか、好きになれない」
「殺してやろうか」

 彼がわたしの首に手をかけた。喉に指が食い込むほどに、自分の身体が締まってゆくのがわかる。
 このまま壊れてしまえばいい。
 わたしは良太の名前を呼びながら、激流に飲み込まれていった。


 終わった後も、わたしの身体には痛みと異物感が残っていた。また罪を犯してしまった罰なのだ。

「良太、わたしのこと好き?」
「好きじゃない」
「愛してるわよね」
「愛してない」
「奥さんよりずっと」
「英利子よりずっと」

 彼は天井を見つめてタバコを吸っていた。

「わたし、あなたに殺されたいわ」
「俺を殺したい、の間違いじゃないのか」

 感情のこもらないセリフが、煙と一緒に宙に浮かんでいた。

「殺すのなんか簡単よ。でも、わたしはあなたに殺されたいの」

 キャビンマイルドを一本取って、ジッポで火をつけた。久しぶりに吸ったタバコはとても苦くて、吐き気がしそうだった。

「夏実、結婚するなよ」

 静かに言った。どうでもいいことのようにも聞こえてくる。

「勝手よね」
「勝手だよな」

 どうでもいいことなのかもしれない。結婚なんて、一体何の意味があるというのだろう。

「わたし、良太の子供がほしい」
「作ろうか」
「うん」
「認知はしないよ」
「いいわ、別に」

 本気でないことはわかっている。たぶん、そのための “直腸” なのだから。

「女の子だったら “愛” って付けるわ」
「趣味の悪い名前だな」
「そうね」

 会わない間に痩せたのか、少しだけ動くようになった彼の指輪をいじりながら、わたしは婚約者と別れるための言い訳を考えていた。

 三日月の後は新月になる。
 わたしと良太は、満月を迎えないまま欠けてゆく月のようだと思った。
 それならば、永遠の三日月がいい。
 夜毎形を変えるあの不実な月に、永遠なんて言葉は似つかわしくないかもしれないけれど。




                           END

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