見出し画像

明治レジームVS贅肉化した知

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の第4波到来ということでまたまた緊張感が高まっていますね。
ここへ来て政界の重鎮の方が、東京オリンピックについて「とても無理と言うならやめないといけない」と発言されたそうで、少し心許ない感じになってきました。

オリンピックの国威発揚効果

オリンピックというと1964年の東京オリンピック、それ以前に計画されていたオリンピックなどでも国威発揚の起爆剤として用いられてきており、衰退サイクルに入ってしまったニッポンにもう一度元気を与えたいという考えで開催を推進したいと考えている人は多いようです。明治維新以後世界に追いつけ追い越せでやってきた延長にある考え方だと思うのです。

「知」を身につけた日本人

一方、戦後の経済成長期以前はまだまだ世界の後塵を拝していることもあって、伸びしろがあったことは事実で、進学率という面で考えてみると、1960年代は概ね10%台の水準。これが年々上昇して平成の初め頃には25%、現在はというと概ね50%ですから半数は大学に行くわけです。
血気盛んな肉体労働者は減り、ホワイトカラーのサラリーマンが増加。殴り合いの喧嘩をするより議論の応酬、ペンでの言い争いにが主流になってきました。

生臭いイベント

オリンピックは一見華やかなイベントですが、政治家だとか権力者の泥仕合が水面下で行われる生臭いイベントでもあり、今回もその構図には変化がないようです。
しかしそれにしても、今回の東京オリンピックは最初から揉め事ばかり。国立競技場の問題に始まり、エンブレム盗作問題、はたまた会長の女性蔑視とされる発言の問題など、世界に日本のみっともない姿を晒していることに忸怩たる思いを抱いてしまいます。
これでまた再延期となったらまた何人クビが飛ぶのかと思うと、どうでもいいから早く終わらせてくれと思ってしまいます。

明治レジームVS贅肉化した知

思うに、問題を次々と起こすお偉いさんにも明治時代から続いているような古い考え方が根強く、21世紀、令和という時代にそぐわなくなっているのは間違いないように思います。一部の有力者だけでものごとが決まっていくような...、どこか時代に求められているものを読み間違える、世間一般の場の空気からかけ離れているような明治維新以降のレジームが色濃く残っているように感じるのです。
一方で、メディアや国民世論にも、評論家的というか、批判ばかりで建設的なところが欠けた印象、知的ではあるのかも知れないけど、動くのに邪魔になる贅肉のようなそんな「知」が世論を動かしているようにも思えるわけです。

行動する「知」が必要

こんな文章自体、贅肉化した「知」を具現化した物に他ならないわけですが、衰退する日本を見ているともはや必要なのは議論じゃなくて行動だと強く思うのです。
東京オリンピックがどうなるかは分かりませんが、人の足の引っ張り合いはそろそろ卒業して、動いてみることを実践しなくてはいけないことは間違いないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?