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レヴィナス『全体性と無限』:他者を歓待するために、私

 エマニュエル・レヴィナスを知ったのは内田樹の『他者と死者』を読んだからで、それはもう5年近く前の話だけれど、彼の思想は私の価値観の根底に据えられている思想となっている。とはいえ私のレヴィナス像は内田樹と、ハイデガーを専門にしている哲学の教授の講義を通して形成されたものであり、彼自身の著作は読まなくてはとは思いつつも、難しいのもあって読めていなかった。『タルムード四講話』と『タルムード五講話』は一応読んだが内容としてはちゃんと捉えられてはいない。
 そんな中でずっと積読してあった、彼の主著とも呼ばれる『全体性と無限』を読んだ。もちろん彼の言いたかったことの全てを理解したとはとても思えない。けれどそれまで自分の中にあった単純なレヴィナス像は打ち砕かれ、より豊穣な思想が目の前で展開される、エキサイティングな読書体験だったことは間違いない。
 以下では、今回の『全体性と無限』を読んだ中で心打たれた部分を、もちろん誤読も多々あろうが、まとめておきたい。

そもそもレヴィナスってどんな人

 エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)はロシア帝国の現リトアニアで生まれ、ドイツでフッサールやハイデガーに師事して現象学を学び、1931年にフランスに帰化してブランショと親交を深めながらフランス語で著作を記したユダヤ人の哲学者である。
 この時期の欧州のユダヤ人は誰しも、共通の運命を抱えていた。言うまでもないことだ。ホロコースト。ナチスが政権を握ったドイツ第三帝国では、世界中からユダヤ人たちを根絶やしにすべく、征服した国という国、都市という都市に住まうユダヤ人たちを、収容所へ送った。なんとか逃れたユダヤ人たちは、アメリカへ、フランスへ、まだ征服されていない都市へと散り散りに逃れた。しかしレヴィナスたちの住むフランスにもナチスの魔の手は迫った。第二次世界大戦の開戦後すぐにフランス軍に加わったレヴィナスは、ドイツ軍に捕虜として抑留されていたが、まさにそのために死を免れた。戦争が終わり、収容所を出たレヴィナスはその時初めて、義母が行方しれずになり、父や兄弟らリトアニアにいた親族たちのほとんどが親衛隊によって殺害されたことを知った。なんとか生き延びたのは妻と娘だけだった。
 1961年、レヴィナスは一冊の本を書いた。『全体性と無限』。この本は彼の主著の一つとして、現代における他者論の代表的なものとして知られている。そこまでは内田樹やハイデガーの教授を通して知っていた。私たちは他者をこんな人、あんな人と判断可能なものとして取り扱ってしまい、私=同の内の世界認識のうちに取り込んでしまいがちだ。そうして同の歪んだ世界認識の全体性のうちで、異質な他者を排除すべきだと考えたのがナチスの第三帝国と言ってよかろう。だがレヴィナスはそうした伝統的な他者認識に異議を唱えた。他者とはつねに同の秩序とから逃れた、超え出るような理解不可能なものなのだ。だからこそ理解できない他者を無理矢理自分の認識の枠に押し込めるのではなく、他者を他者として尊重しなければならない、という現象学に裏打ちされた倫理を哲学の第一のものとして据えたのがレヴィナスの『全体性と無限』なのだ。これが一般的に言われるレヴィナスの議論の概要である。

誰もが他者を呼び求めている

 その『全体性と無限』を実際に読んだわけだが、ここにはより豊穣な議論が広がっていた。その論点をいくつか紹介できればと思う。
 まずそれまでの西洋哲学では、物事の普遍的な本質を暴き出し、掴み取ることを主眼としてきた。その本質は哲学者によって様々に呼びなされてきたが、たとえばプラトンのイデアであり、ハイデガーの存在であった。そしてそれはここの事物を対象化し、全体性を把握するという視覚的なものであったと言っていいだろう。それに対して、事物をどういうものであると位置付けるより先に分からないものとしてそのまま受容する聴覚的な他との関わりを打ち立て、それを人間の最も根源的なあり方として考えた。今回少し意外だったのは、レヴィナスが「聴覚的な他との関わり」を唱えたことではない。それは少しレヴィナスについて知っている人なら当然わかっていることだ。意外なのは、そうした聴覚的な他との関わりが、人間の根源的なあり方とレヴィナスが考えていたことなのだ。西洋哲学一般に対するオルタナティブの提示ではなく。
 少し考えると西洋哲学的な、他を対象化するあり方の方が人間の一般的なあり方のように思われる。我々は飢え、ものを食べる時、例えばリンゴならリンゴを食べられる対象として捉えて、生存のための手段として道具化し、主体=同の中にくみいれている。しかしレヴィナスは、そうした他の同への汲み入れ以前に、そこに人間の他へのたえざる<欲望>を見てとるのだ。レヴィナスは言う。

欲求において、私は≪現実的なもの≫に食らいつき、自分を充足させ、≪他なるもの≫を同化することができる。それに対して、<欲望>には存在への食らいつきも満腹もなく、あるものは私の前方に広がる道標なき未来である。つまり、欲求が前提とする時間は<欲望>によって私に提供されるということだ。人間の欲求は、すでに<欲望>に依拠しているのである。

<欲望>とは哲学者によって様々な意味で用いられるが、レヴィナスにおいてはそれは、なにも不足していない者の、尺度を超え出た他者への欲望であり、それを通して「自分が思考する以上に思考するような思考」に接近できるものである。そして、その<欲望>こそが、我々の糧への欲求を基礎付けているとレヴィナスは考えるのである。

超越するのとは別の仕方で

 こうして私と言う主体と、それを超え出るものとしての無限との関係を思考したレヴィナスだが、それを単に中世神学のような魂の有限性と神の無限性と言う風な超越としては捉えていなかったということは極めて重要な点だと思える。私と言う世界認識の、外側としての単一の超越を想定するならば、シェリングの同一哲学やヘルダーリンの自然との合一、ひいてはその議論の延長のヘーゲルの弁証法のように、究極的にはそれが獲得可能なものとして、全体性の様相を現し始めるだろう。そしてある意味、そうした中世神学的な超越を存在として語った代表格がハイデガーであったのだろう。しかしハイデガーのように単一の超越としての存在を語って見せれば、ハイデガー自身がいかに否定したところでサルトルによって実存主義者の系列に位置付けられたように、その謎自体が謎として、獲得可能な一つの本質として、全体性として受け取られてしまうのだ。レヴィナスはまさにその点において、ハイデガーと同じことを語りながら、同時に、ハイデガーと対決しているのだ。
 ではレヴィナスはどう考えたのか。次のように語っている。

存在がまずはじめにあり、それから分裂することによって、多種多様性に場を明け渡すわけではない、多種多様性をなす各項のすべてが、たがいに相互関係を結び、そうすることで全体性であることを打ち明けてしまう、というわけではないのだ。そのとき、この全体性は各項の出所ということになるが、場合によっては、そこに自己のために実存する存在、すなわち別の自我の面前に場を占める自我が生起することもある。

 自我や他者は確かに個々別々に分離してあるが、それは統合という全体性の裏表として分離しているのではない。分離とは、原初のものであり、統合を前提とせず、個々の存在は離小島のようにズタズタに引き裂かれている。そしてそうしたズタズタに引き裂かれた他者のそれぞれに、主体は無限を見るのである。それは決して全体性を生まない。レヴィナスの他者論はしばしばユダヤ教思想に裏打ちされたものとして語られるが、それ以上に超越を排した無神論的な議論でもあるのだ。

主体の意味、その複数性

 そしてこのレヴィナスの議論は、分離という形で主体の存在を前提としているが、これはまた少し意外なものだった。フーコーなりドゥルーズなり現代思想を多少齧ったことのある人ならば、近代=主体から見た世界の時代であり、主体の解体こそ重要だというある程度の共通理解があるからだ。だから私自身何度か、脱主体の議論を組み立ててきた。しかしそうした単純な主体認識を持った人からすると、全く新しい主体論をレヴィナスは展開しており、とてもエキサイティングだった。
 主体subjectとはもともと「根底にあるもの」を意味する語であり、古代ギリシアや中世ヨーロッパではむしろ今日でいう客体を意味するものだった。スコラ学的にいうならば、神の被造物たる事物こそ、もっとも基礎付けられたものだったからだ。しかしデカルトのコギト以降、主体こそが他のものを基礎付けるものであり、subjectは主体として理解されるようになった。ここに幾何学的遠近法の世界認識、レヴィナス的にいうならば他を同に同化していく世界認識が生まれたのである。
 しかしユダヤ教に裏打ちされたレヴィナスの主体論はそうしたものとは一線を画す。ユダヤ教においては神は善をなせば御利益を与えてくれるような交渉可能なものではなかった。人々は神がしばしば与える試練をただ受け入れて、正しい生き方をしていく他に道はないのである。そうしたユダヤ思想を背景に、レヴィナスは主体を次のように考える。

 形而上学的思考は、発話への注意ないし顔の迎え入れであり、歓待性であって、主題化ではない。自己意識は、私が<他者>について有する形而上学的意識の弁証法的なレプリカではない。さらに、自己意識と自己との関わりは、自己の表象ではない。自己についてのあらゆる視覚に先立って、自己意識は自分を支えることで成就する。自己意識は、身体として自己に植えつけられ、内奥性と家のうちで身を保つ。このように、自己意識は、肯定的な仕方で分離を成就するのであって、自己意識がそこから分離される当の存在の否定には還元されない。だが、だからこそ、まさに自己意識は存在を迎え入れることができる。主体とは、主人なのだ。

主体は他から分離される、同としての自己同一性を保っている。しかしだからこそ、主体は安易に他と同とを一つの全体性へと還元することなしに、客人を招き入れる家の主人さながら、他者を歓待することができる。そうした歓待性の基礎づけとして、主体というものを考えたのである。
 しかしこれだけではまだ半分だ。レヴィナスはさらに踏み込んで、ドゥルーズたちの論じたような主体の変容可能性にまで触れている。それが同と他のエロス的な関係の中で生まれる繁殖性の主体性だ。

繁殖性の主体性は、もはや[通常の意味での主体性と]同一の意味をもっていない。欲求としての<エロス>は、論理的な意味で自分自身と自己同一的な主体に結びついている。しかし、エロス的なものが繁殖性を通じて不可避的に未来に準拠していることは、これとは根本的に異なる構造を明らかにする。主体とは、単に主体が今後おこなうであろうすべての事柄の総和ではない。主体は他性とのあいだで他者を主題として所有するような思考の関係を取り結ぶわけではないし、他人の呼びかける発話の構造も持っていない。主体は自分自身であり続けながら自分自身とは他なるものになるのであって、それも以前の分身と新しい分身に共通の残滓を通じてそうなるわけではないのだ。繁殖性によるこうした他者化および自己同一化 ー可能事と顔の彼方でのー が、父性を構成する。父性において、欲望は満たされえない欲望として ー言い換えれば、善性としてー 維持され、成就する。この欲望は、みずからを充足させることで成就することはできない。<欲望>が成就することとは、善良な存在を生み出すこと、善性の善性であることに等しい。

満たされることのない他への<欲望>を持った主体は、他との間にエロス的な関係を取り結ぶ。そして他と同は別の主体を生み出し、それはたえずズレていく。レヴィナスの主体は、他者を歓待し、それによって自分自身を繁殖させる主体なのである。

最後に: センセイは偉い

 こうしていくらかレヴィナスの論点を拾い上げてみたが、私はそれを汲み尽くすことができたのだろうか。もちろんできてはいまい。いや、拾い上げた議論でさえ見当違いなものだったかもしれない。私はこれから何度もレヴィナスの謎めいたテクストを繰り返し読まねばならないだろう。
 本を読むという行為は、著者と読者の間の、単に情報発信の一方向性という以上に、非対称な関係性を前提にしている。レヴィナスは次のように言っている。

 諸概念の「伝達」や対話の相互性には、すでに言語の深遠な本質が隠れている。この本質は<私=自我>と<他者>のあいだの関係の不可逆性、<他者>であり≪外部にあるもの≫であるというその立ち位置と一致する<師>の<師であること[=統御]>のうちに宿っている。実際、言語が話されうるのは、ただ、対話者が自分の言語の始まりである場合、それゆえ対話者が体系の彼方にとどまり続ける場合、対話者が私と同じ平面にはいない場合だけである。対話者は<君>ではなく<あなた>なのだ。対話者は、主人たる姿で啓示される。つまり、外部性は≪師であること≫と一致するのだ。こうして私な自由は<師>によって審問されるが、この<師>は私の自由を任命することができる。自由の至高の営みである真理が可能になるのは、それからである。

最後にはなるが、こうしてレヴィナスは我々の読書に対するあるべき姿勢を示してくれている。我々は本を読む時、著者が何か重要なことを言っていると考え、著者の言う謎に真剣に取り組んだ時初めて、著者の言う以上のことを学び取ることができるのである。

関連文献

エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』
紹介した書籍。レヴィナスの主著。入門書を何冊か読んでから挑戦されたし。
https://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E4%BD%93%E6%80%A7%E3%81%A8%E7%84%A1%E9%99%90-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9/dp/4065193443


内田樹『他者と死者:ラカンによるレヴィナス』
レヴィナスの入門書としてとても良い。
https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%A8%E6%AD%BB%E8%80%85%E2%80%95%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4167801493/ref=mp_s_a_1_1?dchild=1&keywords=%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%A8%E6%AD%BB%E8%80%85&qid=1628470971&sr=8-1

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