余生
息がくる、しい。
ひとが生きるのに疲れた時、なにを標にして生きていけばよいのだろう。
「きっと優しいんだね、あなたは」
穏やかな声でそう言われて、わたしは息が詰まるような気持ちになった。
優しいだけじゃ生きていけなくて、歳をひとつ数えてゆく度に何かが掌からこぼれ落ちている。
生きるとは呪いだ。言葉は呪いだ。そう気づいてから、何度の春を迎えてきただろう。
20代の終わりに、今は余生だと思った。穏やかに朽ちるのを待つだけでいいと思っていた。
それなのに余生のはずの時間で、こんなにも息が苦しい思いをするのは何故だろう。
今までわたしはどうやって生きる気力を見つけてきたのだろう。
随分昔に読んだ詩の一節をふと思い出す。
どこのどなたが書いたのか、それすらもわからない。
ただ15歳のわたしが読んで、15年以上たった今も忘れられない
「切れていく息を回収しにいこう
切れてきた息を回収しにいこう
人は人の皮をかぶる 獣は獣の皮をかぶる
息はしやすい自分でいたい」
そんな詩だった
息ってどうやってするんだっけ?
身体中が痛い。重くて、まるで泥をかぶったよう
歩くのも、座るのも億劫で、暖かな日だまりでうずくまっている
それなのに身体は寒くてたまらなかった
誰かがわたしに教えてくれたのだ
歩いたら休めばいい
なのに歩くことも、休むこともできないで
途方に暮れた迷子のよう
いよいよ余生だと思った。
もはや限界なんてとうの昔に迎えていたのかもしれない
つかれた。何ももう見たくない、しぬのはこわい
どうか目を覚ましたら、どこか遠い知らない場所で生まれ変われたらいいのに
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