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「才能の有無は誰が決めるもの?」という話

どうも。963(くろさん)です。

今回は、
「才能の有無は自分で決めていい」
と思った時のことについて
書いてみたいと思います。

【「君、才能ないよ」とその人は言った】

大学1年生の夏休み、
普通自動車免許を取るため
僕は自動車教習所に通っていました。

敷地内にある教習コースで
車の合流講習でのこと。
僕は車の列に入っていくタイミングが掴めなくて
アタフタしていました。

そんな僕の横顔を見ていた教官が
ボソッと言った言葉でした。

まあ、そうは言われたものの、
免許も無事取得することができて、
あれからウン十年と車を運転していますが
幸い無事故でこれまで過ごしてきました。
(それでも、その時のことがショックで
未だに「才能」と聞くと思い出しますw)

【結局、「才能」ってなんだのだろう?と考えてみる】
では、よく人々の間で話題に上がる
「才能がある(orない)」って、
一体どういうことなんでしょうか?

「才能」という言葉をGoogleで検索してみると、

「ある個人の素質や訓練によって発揮される、
 物事をなしとげる力。」

と書かれていました。

僕の自動車学校の話で言えば、
「車を運転して目的地まで辿り着く力」
ということになるでしょうか。

だとすると、教官が僕に言った
「君、才能ないよ」とは、
ちょっと違ったニュアンスなのだろうな…。
そう感じました。

それでは「素質」とはなんでしょうか?
こちらを同じく調べてみると、

「生まれつき持っていて、
 性格や能力などのもとになるもの。」

とのこと。

なるほど。
「君、才能ないよ」
という教官の言葉は、
車の列に合流できない
僕の慎重な性格に向けて
言われたのかも知れませんね。

でも、今振り返ると
この性格のお陰で
事故に遭わずにいられている
そうも思えます。

【才能のあるなしは結局誰が決めるのか?】
これからは、自分の才能について

才能のあるなしは自分で決めていいし、
才能に合う素質・素養を自分の見つけて
育てていけばいい

と考えることにしました。

結局、才能を必要としているのは自分自身。
そして、そのレベルは成長に従って
どんどん変わっていくものです。

なので、
その才能を今自分は
どのレベルで必要としているのか?
を明確にすることが大切ですね。

僕の自動車免許の例で言えば、
現在、必要としている才能は

「自分と自分の大切な人を
 目的地まで安全に連れていく」

ということです。
これも十分満たせています。
家族からも特に文句は出ていませんw

また、僕の「慎重な性格」は、
運転に慣れるまでは
人より時間がかかるものの、
安全運転に貢献してくれています。

大切なのは、自分がその才能で
必要としているレベル(ゴール)を
明確にすること。

そして、
自分が持っている素質・素養を見つけ
ゴールに向かって育てていく。

そうすれば、
「自分にはこの才能はないかも…」
などと悩まなくてよくなる。

そう思えた1日でした。
それでは!

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