なぜ書くのか
私が夜のエッセイを書こうと決めた経緯を話そうと思う。
突然だけれど、「死にたい」と思ったことはありますか?
私は幾度となく、ある。最初に思ったのはいつだろう。あれは何歳の頃だっただろう?
たぶん小学生の頃、いじめに遭った頃だと思う。なんで私はこんな目に遭わなければならないのだろう?私が何をしたというのだろう?何かした?そんな言葉が頭の中をずっと駆け巡っていた。それでも学校には頑張って通っていた、と思う。その頃の記憶は曖昧だ。
ある時、担任の先生に泣きながら聞いた。
「なんで助けてくれないんですか」と。
そうしたら
「あなたなら大丈夫だと思ったから」と、言った。
この世は地獄だ、と思った。
同級生も、先生も、大人も誰も助けてくれないんだ。
そうか。
それから私は、「なんで私はこんな目に遭わなければならないのだろう?」を自問自答し続けた。
ああ、そうか。私がいけないんだ。私という存在が、生まれてきてはいけなかったのかもしれないな。私がいること自体がいけないのかもしれない。何かの、間違いなのかもしれない。
私は自分を憎んだ。
私がだめだから。私がだめだからいじめられて、誰も助けてくれないんだな、と。
どんどん卑屈になっていったし、どんどん自虐的になっていった。
そうやって自分の首を絞めることが当たり前になっていった。
無意識にそう思うようになってしまったので、そうすることで自分をさらに苦しめているなんて当時はわからず、ただただ自分を責めて責めて責め続けた。
それでも、ね。人生は本当によくできている。
そんな私に「よしなさいよ。もうやめなさいよ」とでもいうように、あるきっかけが起こる。大学一年生の時に病気で倒れて、ああ、本当に死ぬのかもなあ、なんて病室のベッドでぼんやり思った。そうしたら。もっと自分を責めないで生きてみたかったなあ。と、ふと思った。
私だって好きで自分を責めているわけじゃない。自分の首を絞めたいわけじゃない。こんな生き方をしたかったわけじゃない。こんな、このままの人生なんて…。
ただただ、そう感じた。
生きて帰れたら。
何がしたい?どうしたい?私は、どう生きたい?
その時、もっと自分を大事にして生きてみようと思った。
もちろん習慣的に、癖のようになってしまっていたので、そんなすぐには上手くいかなかった。何か嫌なことがあったりするとすぐ自分を責めてしまいがちではあったけれど、訓練のようにちょっとずつちょっとずつ、自分の考え方や意識を変えていった。本当に、ちょとずつ。
あと病室のベッドで決めたことが、もうひとつある。
「踊ってみよう」
どうせ生きるなら、生きて帰れるなら。一番無茶苦茶な無謀なことをしてみよう。踊って色んなものを表現してみよう。この身体をぜんぶ使って、できること。
そうして私はダンサーになった。
不思議な話かもしれない、けれど人生において、こういうことはあるみたいだ。
軌道修正するタイミングが訪れたり。色んなきっかけ、伏線があったり。
何が言いたいかというと。
私はこのエッセイを書くことによって、誰かの心の灯になれればいいなと思う。誰かの居場所になるような。そっと、寄り添えるような。
人生は本当に何が起こるかわからない。
何度か死にかけたり、死のうと思ったり。今までも色んなことがあったけれど。
もうすぐ32歳になる。
今確かに思うことは、生きていてよかったな、ということ。
辛いこともまだまだたくさんある。泣きたくなる夜もある。
それでも、あの頃死ななくて本当によかった。と、心の底から感じる。
あの頃の経験、体験がなければ、この文章も書けなかっただろう。
思わぬところで点と点が繋がったり、思わぬところで経験が活きたり。
人生はまだまだわからないことだらけだ。そしてとってもおもしろいものだと思う。
ひとりぼっちで夜を過ごすあなたへ。
漠然とした孤独に包まれる夜もあるかもしれない。わけもわからず涙がこみあげてくる夜もあるかもしれない。そんな時、大丈夫だよって自分に声をかけてあげてほしい。
きっと良い方向へいくから。大丈夫。信じてみて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?