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ガラスの孔雀

この季節になると思い出す、エリナー・ファージョンの短編。私はエリナー・ファージョンを原語で読みたくて、英語の勉強を頑張ったのですが、英語圏の国で彼女の物語は、今やほとんど読み継がれていないことがわかりました。「The Little Book Room」「Martin Pippin」など、好きな作品の英語版(1960年台出版のもの)を、少しずつ大切に手に入れてきました。

日本では石井桃子さんの名訳のおかげで、今も多くの図書館に全集があります。今回、中学生の子たちへのストーリーテリングを頼まれ、自分で言葉の響きを考えながら訳しました。思春期の子達50人、しーんと音も立てずに聞いてくれました。物質の儚さ、精神の豊かさ、利他心など、お説教でなく、ちょっとだけ染しみてくれればいいな。

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アナ・マライアは、ロンドンの中でも貧しく古い地域の、さらに貧しく古い路地に住んでいました。凸凹のレンガを敷き詰めたままの狭い路地に、車は滅多に入って来ることはなく、そこは子どもたちの格好の遊び場になっていました。
親切で明るく面倒見の良いアナ・マライアは、誰からも愛されていました。「アナ・マライア、ジョニーが指をすりむいちゃった」「アナ・マライア、ボビーとジョーンが取っ組み合いしてるよ」「アナ・マライア、あたいのお人形が壊れちゃった」。路地にアナ・マライアを呼ぶ声が響かぬ日はありませんでした。

オルガン弾きが仕事に出ようとしたとき、子どもたちがわっと取り囲みました。「オルガン弾いて」。「今日は忙しいからだめだよ」とオルガン弾きが言うと、アナ・マライアは今朝もらったたった一つのペニー銅貨を差し出して、にっこりと笑顔で「どうかお願い」と頼みました。オルガン弾きはペニー銅貨は辞退し、アナ・マライアの笑顔に免じて3曲も弾いてくれました。ひとしきり踊った後、アナ・マライアはお菓子屋に皆を連れていきました。あのペニー銅貨で、弟にはリコリスのキャンディーを、皆のためには一袋の粒砂糖を買いました。子どもたちは順番に袋に指を入れて、砂糖をなめました。アナ・マライアのところに袋が帰ってきたときは、砂糖は一粒も残っていなかったので、袋を割いて内側をなめました。

クリスマスが近づいてくると、貧しい路地の店々も華やぎました。お菓子屋さんのウィンドウには、美味しそうなケーキや、緑と赤の縞々のキャンディ、砂糖でできたサンタクロースや妖精の女王、蜜で固めたナッツやフルーツが色鮮やかに並べられました。

路地の子どもたちの家は豊かではありませんでしたが、「うちはおばあさんの家に行くんだ」とか、「パントマイムを見に連れて行ってもらうよ」、「母ちゃんに靴下吊るしとけって言われた」など、ささやかなクリスマスのお楽しみも耳に入ってきました。

アナ・マライアと弟のウィリアムには、今年はそうしたささやかなお楽しみさえ期待できないようでした。二人はお菓子屋のウィンドウをうっとりと眺め、「ウィリアム、お前はどれにする?私はあの妖精の女王がいいな」「おいらも妖精の女王、あとサンタクロースと汽車も」「そうだね、そしてあの一番大きいフルーツの瓶詰めとケーキも買おうね」などと、空想のお買い物をいつまでも楽しむのでした。

クリスマスは訪れ、去っていきました。パントマイムに行った女の子から、お話を聞いたアナ・マライアは、それから何日も想像のパントマイムを夢見て過ごし、「本物のパントマイムに行った子が友達にいるなんて自分はなんと幸運なのだろう」と思いました。

年が明けてまもなく、アナ・マライアは珍しく路地に一人で、チョークで地面に線を引いていました。すぐそばを通る人の足音がしたのですが、その足音に混じってチリンチリンという音が聞こえたので顔をあげると、「うわあ!」と声をあげて目を見張りました。立派な身なりをした女性が小ぶりのクリスマスツリーを抱えて歩いていたのです。そのツリーには、色々な色の玉や、ランプやキャンドル、赤と銀のサンタクロース、星、花、鳥、金鎖など、ガラスやビーズでできたありとあらゆる美しいものがぶら下がっていました。中でも一番美しいのは、青と緑と金のガラスでできた孔雀でした。

アナ・マライアが口をぽかんと開けてツリーを見つめていると、その女の人は信じられないことをしました。つかつかと近づいてきたかと思うと「欲しい?」と言ったのです。アナ・マライアは言葉もなく女性を見つめ、そしてゆっくりと微笑みました。その人はチャリチャリと音を立てるクリスマスツリーを、アナ・マライアの手に押し付けると言いました。「これを見て、最初に『うわあ』って言った子にあげようと思っていたの。だからあげる。あなたが一番よ」。アナ・マライアはくすくす笑いが止まらなくなってしまいました。本当は「ありがとうございます」と言わなければならなかったのですが、嬉しすぎて言葉にならず、くすくすくすくす、笑い続けることしかできなかったのです。けれどもその愛らしい笑い声は「ありがとう、ありがとう」という響きに聞こえました。女の人も笑い出して、そして行ってしまいました。

ウィリアムが出てきて息を呑み、「ねえちゃん、それ何?」と聞きました。「クリスマスツリー。立派な奥様がくれた」というと、飛び上がって大きな声で、「アナ・マライアが奥様にクリスマスツリーもらったんだって〜」と叫び、路地を駆け出していきました。ほどなく路地中の子どもたちが集まってきました。皆口々に「うわあ、うわあ」と言っています。「あのサンタ見て」「ほら鳥もすごいよ」「花も本当みたい」

「アナ・マライア、このツリーどうするの?」
「今晩はベッドのそばにおいて寝る。で、明日はこのツリーの周りでパーティをするんだ」
「行っていい?アナ・マライア!」「あたいも行っていい?」「もちろん、皆おいでよ」

それは本当に幸せな一夜でした。夢よりも素晴らしいものを傍に、アナ・マライアは眠ることもできませんでした。そっとツリーに手を触れては、繊細なガラス細工のオーナメントをなでました。小鳥に花に、星にそしてあの素晴らしい孔雀。

明日はこのガラスのオーナメントを子どもたちに分け与えるつもりでした。でもこの孔雀だけは最後まで残るといいな、そうすればずっとそばにおいて、時々そっと羽を撫でることができるもの。

パーティはお茶の時間の後に行なわれ、子どもたちは最後にガラス細工をひとつずつもらいました。ウィリアムはサンタクロースを欲しがりました。不思議に誰も「孔雀を」とは言いませんでした。皆なんとなくアナ・マライアが孔雀を欲しがっていることに気づいていたのです。小さいリリーが「あたいあのクジャ…」と言いかけたとき、お兄ちゃんがあわてて口を押さえ「リリーにはその薔薇をやってくれるかい。ほらリル、これ真ん中にダイヤモンドが入ってるんだよ、すごいよ」と言いました。

パーティが終わると、からっぽになったツリーがありました。アナ・マライアは孔雀を手にし、そっとその羽をなでました。

夜になってウィリアムを寝かしつけに部屋に入ると、弟がシクシクと泣いていました。「どうしたの、ウィル」「サンタが壊れちゃったんだ」「ウィリアム、あんた」「壊れちゃったんだよ」「泣かないんだよ」「姉ちゃんの、孔雀、ちょうだいよ」「いいよ、あげるよ、だから泣かないんだよ」

ウィリアムは孔雀を持って泣きながら眠りに落ちました。
モミの木の香りと、ぱらぱら降り頻る葉っぱの音に満たされた部屋で眠りについたアナ・マライアは、遠くで「カチャリ」という音を聞きました。それはあの孔雀が行ってしまった音でした。

路地の子どもたちの枕元には、アナ・マライアが皆に分け与えた美しい夢のかけらのようなガラス細工が置かれていました。それらの多くは1日、あるいは1週間で壊れてしまいましたが、何ヶ月も何年も保たれたものもあったのでした。

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