似たものから意味を考える
皆自宅にいることが多くて、色々考えていると思う。私は深く考えるのが苦手だし、いつもばたばたしてその時間がなかったが今、それが少しの間できた。あるできごとや物をじっくり観察して、それと似たものを思い起こし、それらに共通する性格や意味を考えるという思考法がある。で、今回のことを考えてみる。
まず、目に見えない脅威という側面:誰もが思いつくと思うけれど、放射能がまずあがる。その他に、例えば農薬や添加物、5G、地球温暖化、日常に潜む災いや過ち、人間の持つ邪悪さ、過去のトラウマなど。目には見えないけれど、人間の健康な心身を脅かす、あるいは恐れや不安を与えるものをあげていくとたくさん見つかる。
自分自身の日常生活を変えないでおこうと思えばそうできるけれど、目に見えない鎖が存在し、真の意味でくつろげない。この鎖の硬さ強さ太さは人によってさまざま。放射能のときも、住んでいるところから急いで脱出した人もいれば、「心配なレベルではない」という広報を信じた人もいる。
目に見えない脅威がもたらす鎖とは、恐怖と疑い、憎悪だ。
人間の叡智には、恐怖を勇気に、疑いを信頼に、憎悪を友愛に変容させる力があると言われている。
恐怖を勇気に変えること。恐怖は人を縮こまらせるから、フィジカルなアプローチが意外と役にたつ。まず、息を吸う。肩が上がるくらいたっぷり吸って、ゆっくりゆっくりなが〜く鼻から出す。何回かする。腹式呼吸ができればなおよい。動きをつけながら呼吸してもいい。それから全身に力を入れて、ふっと緩めてみる。緩める時は徹底的に手放す。自分の体を空間に委ねる感覚。これを何回か行なうと、まず恐怖による緊張が解ける。他にも色々あるけれど、今はこれだけ。
不信を信頼に変えることの方が難しい。色々な情報をむやみやたらと信頼するのではない。何が事実で、何が事実でないかを見極める、自分の判断を信頼できるか。それには、自分自身を研鑽する必要がまだまだある。信頼できるとしたら「なるようにしかならない」という一事のみだ。それは無責任かもしれないけれど私の本音だ。
私に限らず、日本人の多くには「自分には起こらない」という根拠のない信頼(油断ともいうが)がある。それで、実際に危なくなってきたら次に来るのは「怖い怖い、なんとか助かりたい」のはずなんだけど、それはすっ飛ばすか、割りにあっさりと手放しちゃって「起こったものは、しかたない」という諦念に向かう人が多いように思う。
その理由はもう少し考えてみたいが、それがある種の落ち着きを与えてくれることは確かだ。不用意だとか能天気だとか、海外では批判もあるようだが、パニックになるよりはいいと思う。
勇気を持って冷静に事態を受け止める。互いに共感し合い、困っている人に心とエネルギー(物資やお金を含む)を向ける。精一杯頑張ってくれている人に感謝する。自分自身の判断を信頼する。
そして、最終的には「なるようにしかならない」を、諦めではなく運命へのポジティブな信頼として受け入れたい。
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