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資本主義ではクズやバカにこそ価値がある


今回はクズの皆さん、バカな皆さんに朗報です。
資本主義である限り出来の悪いものや効率の悪いことにこそ価値が産まれやすいです。
その素質があるクズやバカの皆さんが生き続けるということは資本主義の世の中にとって非常に望ましいことなのです。やりました。
今回はその説明をしていきます。


まず確認として超ざっくりとした説明をすると
資本主義というのは庶民からすればお金isゴッドな世界観であり
お金を持っている方が大体偉いという価値観になりやすいです。


基本的に人はより良いものに対してお金を支払いやすく、
その結果としてより良いものにお金が集まることになるので
より良いものを作った人=結果お金を多く集めた人が素晴らしいということです。

例えば人は、
全く同じ値段のものであればより良いものを選択しますし、
全く同じ品質のものであればより安いものを選択しようとします。
ここに競争が発生することで、より良い商品やサービスが生き残っていくということになります。


さて、こうしてみると
資本主義というのはまるでどんどん良いものが残り、
洗練された素晴らしいもの達が残っていくような印象さえ受けますが実際は真逆です。
資本主義で求められるのは非効率で出来の悪いものが最高です。
悪ければ悪いほど良いです。つまりクズが最高。もちろんバカでもOKです。


まずはじめに、「良いもの」には限界があります。

仮に「とにかく丈夫なもの」が求められており、それを作るとします。
原始の時代から考えると、初めは木や岩などを使って作るとするかもしれません。
これは草で出来たものよりは圧倒的に丈夫で、価値があります。
しかしこれは時代の流れと共に段々と洗練され、やがて金属に辿り着き、最終的にはダイヤモンドが一番丈夫だねというようになっていきます。
科学的なデータも取れるようになると丈夫さの値まで調査が可能です。
ダイヤモンドよりも樹脂の方が安価でそれなりに丈夫だぞという方向性も出てくるかと思います。

こんな感じで「より〇〇なもの」を目指した場合、最後にはどうしても限界点が見えてきます。
「そこまで丈夫じゃなくても、もうちょっと安価なら嬉しい」という場合の条件でも同じです。
「このやり方であればそれなりに丈夫で安価に作れる」の限界点というものはやはり求まってきてしまいます。
つまり"条件"がある限り、必ず提示された条件に対して求められる最適解というのは見つかります。
この段階まで進んでくると草から岩、岩から金属といったような飛躍的な発見というのはやがて無くなります。最適解として求められた特定の物を作るという状態になります。

ここまでくると後は同じものをいかに安く売るか、という勝負になります。
安く売るためには同じものをどれだけ安く作れるかが必要になり、今度はお金を稼ぐことがシビアになってきます。
何をカットすれば必要経費が浮くのかというような話です。しかもギリギリまで攻める必要がある。
本当はもっと画期的な方法で圧倒的に安く作りたい。
しかし仮に「従来より圧倒的に安く同じものを作れる方法」が発明されたとして、
これも先程の『提示された条件』の一つにあることに代わりはなく、("従来より圧倒的に安く作りたい"という条件)結局最後には最適解が見つかってくるということになります。
最適解に近づけば近づくほど煮詰まって画期的な発明は遠ざかります。
やはり最後には似たような条件で同じものを作り続けるしかないということになります。


ということで商品やサービスなど、
何か条件が求められるものというのは
最終的に上限や最適解が見つかり、見つかってしまえば後は価格競争に負けないようにシビアな条件のもので稼働させ続けなければならなくなり、やがて旨味が無くなってくるということになります。

上限を超えるような素材や発明はやがて見つかり辛くなり、
見つかった所でほんの少ししか上限を超えられず、
しかもそのほんの少しだけ上限を超えたものを作ろうとすると今度は半端ないコストがかかってしまい、トータルで見ると大損にしかなりません。

では、どうしたら旨味を発生させることが出来るかと言えば
「安価に作ったものを高く売ることが出来る状態」が一番おいしいわけです。

先程の例でいけば、木で出来た雑なヘルメットを現在の価値における100万円ぐらいで買ってもらうことが出来れば
非常にコスパがよく、資本主義では偉いということになります。
読んでるだけでまず無理と思うかもしれませんし私もそう思いますが、
こんなことが可能になりやすい条件というのは2つあります。

1つは「上限に向けてまだまだ成長している状態」、
もう1つは「価値が分からなくなった状態」です。

1つ目の「上限に向けてまだまだ成長している状態」というのは上の例でいくところの
岩や金属があまり見つかっていないような時期のことです。
原始時代を想像すれば、黒曜石などがあったのでそれなりに丈夫な岩石の存在はあったでしょうし、
金属めいたものを山や洞窟で発見することもあったとは思います。
しかしそれを大量に使いこなす所まではいっていないまだまだ上限の底が見えない時代です。
こういった環境だと木のヘルメットが安易に作ることが出来る上に非常に価値がありますのでボロ儲け出来ます。(1個100万円は流石にちょっと厳しいかもしれませんが)
この時点で岩や金属を対象になんとかヘルメットにしようとしている人達は旨味がなかなか得られません。商品が完成しないからです。
仮にようやく岩や金属のヘルメットを世に出した人がいたとして、そうなったらそのタイミングで鞍替えすれば良いのです。
上限がまだまだ底無しに見えている状態というのは安易で雑なものでも大きくお金が稼げます。

しかしこれよりも更に安価にボロ儲け出来るのが2つ目の「価値が分からなくなった状態」です。
現代では防弾ガラスや厚さ30cmの鉛製の扉など、どんな丈夫なものでも存在しますが、
本人が「いや、防弾ガラスなんかより木の方が一番価値がある」としてしまえばいいのです。
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、
例えばどこぞの誰かが「木のヘルメットにはありがたい魂が宿っている」とか「この木のヘルメットを被れば病気が治る」とか
そんな理由を言えば買う人は出てくる可能性があります。そんな訳ないのにです。
もしくは「木のヘルメットを買ったらモテモテになりました!」とか「この木のヘルメットは橋本環奈ちゃんが被ってたんだよ」とか
「未だに木のヘルメット買ってないとかダサくない?超流行ってるよ?」とかそんなでもいいです。
相手の価値観を変えてしまえばしょぼいクオリティのものでもありがたがっていいお値段で買ってくれる可能性が上がります。
良いものをギリギリの生産性で一生懸命作るより遥かにコスパが良いです。

これは知的水準の高い人相手になるとなかなか難易度が上がるのですが、
物事を判断する力が無い人や、不安や恐怖で心を苛まれている人になると難易度は一気に下がります。
不安や恐怖というのは価値観を分からなくさせるメダパニ効果がありますので、
世の中がそういった状態になっているほどボロ儲けというのはやりやすくなります。
なので、資本主義を高めていこうとする限り世の中が不安や恐怖で満ちているような感覚になるのは仕方ありません。皆さんがそう感じてくれた方がお金が動きやすい。

そしてこういった不安や恐怖で価値基準が分からなくなった状態というのは
物事の判断する力が弱い状態、いわゆるバカな人に近い状態ということになってきます。
ということは裏を返せば、不安や恐怖の力に頼らずとも
常にそれに近いパフォーマンスを発揮出来るバカな人というのは資本主義に非常に求められている存在ということになります。
よく分からないけどなんだか凄そうだからしょうもない商品を高額で購入してくれるわけです。
こうなると資本主義の社会を支えているのは賢い消費者ではなくバカな人達ということになります。資本主義はバカな人達への感謝が必要です。

そして資本主義はクズにも感謝が必要です。
クズというのは世の中に対して1つ目に挙げた「上限に向けて成長している状態」を無理矢理作り出すことが出来ます。

まず、クズというのは大抵出来の悪い問題行動の塊です。
社会から爪弾きにされている存在というのは厄介で、
すぐ世の中に不必要な問題を落とします。世の中の効率を落とします。
ゴミ捨て場を漁っては荒らした状態のまま帰っていく、
家賃を滞納して払おうともしない、
日中子供に向けて大声を出して威嚇してくるオッサンがいるetc…
すると、世の中ではそれを解決するための商品やサービスが求められることになります。
クズがいることによって発生する困った問題をなんとかしたいという需要が生まれるからです。
そしてこの状態というのは「よく分からないものをなんとか少しずつ良くしていこうという状態」になりますので、
いきなり上限が来るような世界ではなく、試行錯誤が必要な「上限に向けてまだまだ成長している状態」になります。
最適解が見つかるまで時間がかかればかかるほど、動くお金の量は大きくなります。
クズが巻き起こす問題というのは一筋縄ではいかない訳の分からない行動が多く、
それを解決するためにたくさんの需要が発生し、たくさんのお金が動くことになります。
上限がまだまだ見えない世界では「大したパフォーマンスでもないのにめちゃくちゃ儲かる仕事」というのが発生しやすくなり、
資本主義的にも非常にグッドな世の中になるということなのです。

悲しい話ですが、全員が真面目に穏やかに平和で過ごしていたらお金などたいして動きません。
資本主義的にはマイナスでしかないのです。


以上のように、資本主義というお金を稼ぐことを是とする世界では
上限の判明しつくした安定した世界よりも
問題が発生し続けるような不安定な状態の方が好まれます。

そしてそんな不安定な状態を作りだすのに長けているのがクズの皆さん、バカの皆さんなのです。
つまりクズやバカの方にこそ、価値があると言えるかと思います。
クズやバカの皆さんは胸を張って生きていきましょう。

もう一度まとめとして繰り返しますが、
資本主義においては、世の中の皆さんが平和で安心出来る世界を望み、それに向かって進み続ける限り、
問題や不安で満ちている世界である方が容易にお金が動きます。問題や不安は安心や平和とは真逆の位置に存在する排除すべき問題なので、それを解決するためにお金が動きます。たくさん動きます。
これこそが資本主義の求めている姿です。

そしてこういった問題や不安を巻き起こすのはクズの皆さんであり、
価値の無いものに大金を払ってお金を動かしてくれるのはバカの皆さんです。
資本主義の下で暮らす皆さんは、こういった陰ながら支える人達の存在があって成り立っていることを少しでも考えていただけると幸いです。

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