地面に敷き詰められた建物と縁側


私の住む街はなかなか腰を掛けることができない。
だからちょっと腰を掛けて考え事をしたくても、
歩き続けなくてはならないので
結局何を思いついたか忘れてしまうし、
その瞬間のわくわく感や温度は冷めてしまう。


カフェに入ればいいのだろうけど、
お昼はカツ丼を食べたし、
その後カフェでコーヒーとチーズケーキも頂いたので、
その上コーヒーを頂くにはお腹がいっぱいすぎた。


カフェはこのご時世だからか利用時間が決まっていたので
尚更好きなだけいるわけにはいかなかった。

先月ヨガ合宿で滞在した施設には広くて長い縁側があった。
私はその縁側が大好きで、思いついた時はいつも腰掛けていた。
10秒ぐらい足をぶらぶらさせて満足する時もあったし、
眉間にしわを寄せながら課題の本に頭を悩まされた時も縁側に座っていた。

たまに野生のヤモリと場所を牽制し合い、
(よく言えば譲った、正直にいうと逃げた)
ただぼーっと目の前に生い茂る緑を見ては足をぶらぶらさせていた。



多分私は自分が思っている以上にぼーっとするのが好きだ。

実は風に当たるのも好きだし、暢気に足を動かしているのも好きだ。



今、やっと見つけたベンチに腰掛けているけれど、なんか違う。


地面に敷き詰められた建物の狭間で、
一時的な幸せをこれが幸せだと言い聞かせては、
物足りなさを感じ、また一時的な幸せを味わうために
ここから抜け出せないでいる。
私は、きっとここにいればいつか幸せになれるはずと、無理やりしっくりさせて、そうやって1日1日を繋いでいるのだろうか。

きっとそれも悪いことではなくて、
間違えなく幸せの瞬間が存在している。
溢れるように存在するものや場所の中から、
本当に好きなものもいくつか見つけることができた。


でもなぜか幸せは持続しない、持続しないんだ。


今日が曇りではなくて、青い空が広がっていたとしても、
このもやっとした気持ちは晴れないだろう。

凸凹した建物が広い空を遮っている。



#日記 #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?