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潜在意識を顕在化すること

 ヒプノセラピーが大嫌いだったのに(←学ぶ前は)実際、開業してリクエストが多かったこともあり、数えきれないほどのヒプノセラピーをしてきた。開業して19年になる。様々なセラピーを学び、導入し、施術してきて、今もパワフルだと思えるものがヒプノセラピーだ。
 潜在意識のことは知っていたけど、まさか自分がこんなに深く潜在意識について関わっていくなどと考えてもいなかった。

 今の時代、ものすごい勢いでいろんなことが変化していき、その流れは自然な流れだから、止めることができないのだろうと思う。止める必要もない。同時に、パラレルな世界が創造されていて、自分で選べる世界が広がっていく。自分で選べないと思っていると辛いかもしれない。依存的な生き方から自律的な生き方へシフトすることで、新しい共存の世界へと向かっているように私には見える。

 長い間、人類は、困難を乗り越えたり、適応することによって生き延びて、進化してきた。ダメなところをよくしていくことを無意識的にしようとするのは、それ故なのだと思う。
これからは、ダメなところはそれとして、良いところを伸ばしていくとか、好きなことを追求していくという意識につながっていくことが大切だと感じる。もうすでに若い人々は、そうなっていて頼もしい。若くなくても、この時代に生きている以上、新しい意識は徐々にスタンダートになっていくから、調和して生きるのが楽しいと思う。でも、満たされるとポカンとなる感じは、どこかつまらない、燃え切らない感じで、つい昔のパターンで困難を引き寄せたりするのはもうお仕舞いにしようと思う。
 私も昭和の人間。まだまだその傾向がある。私の場合、わかりやすい困難の中で、時に自ら飛び込んでまで向き合ってきたから尚更かもしれない。命懸け(文字通りだったからすごい恐怖だったけど)の苦難を乗り越えるのは、どこか気持ちいのだ。苦難はどこか勲章的なものになりうる。そして、実は自分にとって楽な道なのだ。なんらかの報酬もある。
 だから、「もう嫌だ〜」と言いつつ、離れられない人は少なくない。誰がどう褒めても、叱っても、どうにもならない。自分で抜け出さないといけない。
 私自身もそういう部分をまだ大事にしたいところがあるから、気持ちは痛いほどわかる気がする。でも、なんだかその古いゲームもつまらなくなっているのではないかと思う。

 ではどうすれば良いのか。
本当に決めるだけなのだ。
だけど、人間はそういうシンプルなのが嫌いだ。こんなに大切にしてきた愛おしいものをそんなに簡単に手放したくないのだ。手放すに値する根拠などが欲しくなる。だからそのために潜在意識を紐解いたりするのだと思い込んでいる。もちろん、潜在意識レベルでなんらかのエネルギーがあり、それがわかるとスッキリしたり、「だからか〜」という感覚もある。でも、その先は、自分次第なのだ。気づきを得た時に、その気づきを生かして意識をシフトすることを自分に許して進むことが大事。コミットメントがあると、気づきを生かしているとか、許すとか、そんなことを考えなくても進んじゃう。大事なのは、自分がいろんなことに心を開き、いろんなことを受け入れ、降参して楽になり、ご機嫌で生きるだけなのだと私は思っている。

 潜在意識にあるエネルギーは大きいから、顕在意識で認識できると、とても助けになる。意識して再選択できるから。それは大きいからこそ、自分がどう在るか、自分の人生についてどう考えているかが浮き彫りにもなる。しかも、それはあらゆる領域とつながっているから、自分のことのみならず、様々な次元を体験、知覚でき、あらゆるところから気づきやメッセージや叡智につながることができるようになる。ヒプノなどの潜在意識とのワークは、無限の広がりを持つのだ。そして、それは特別なことではないと気づく。そこが魅力で、私がヒプノセラピーなど潜在意識に触れるようなセラピーが好きで好きで、いまだに追い続けている。

 怖気づいたり、迷ったりするのは全然良い。でも、ずっとそのままというのは、とても不自然でいろんな領域に不具合が出てくる。急に変化しなくても良いけど、ほんのちょっとずつでも今の自分でいよう。
「気づいた自分として生きる」って、本当に大事なのではないかと私は思っている。セラピストの役割は、その可能性を垣間見せるガイドのようなものかもしれない。自分が飛び込んでいない海に飛び込ませることはしたくない。見えた世界にはクレイジーに真っ先に飛び込んでいきたいと日々思っている。魂が向かう方へ。

 

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