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大きな節目

 怒涛の4月とか言っていたら、5月も半ばに差し掛かろうとしているではないか。おー、1日にできることのキャパシティーがどんどん減っている。これが歳を重ねるということなのか、それとも、情熱の欠如か、なんて自問自答してしまっていたら、先月末に体調を崩した。喉にきてしまった。気持ちはノッてても、身体はそうはいかないのね。バランスは大事。弱いところにサインが出る。速攻、養生したら思ったより早く回復。声も出しづらくなることがなくなった。
 そして、5月10日。魔女スクールの最後のクラスを迎えた。昨年12月から開講し、ずっとズームでオンラインで講義をし、濃厚な時を経て、スクーリングと卒業実習の時を迎えられ、何だか感無量の気持ちだ。思い返せば、コロナ禍をきっかけにほとんどのクラス、セッションをオンラインに切り替えた。このきっかけがなかったら、オンラインスタイルにすることは、もっとずっと後だったかもしれない。もちろん、オンラインスタイルは、一長一短あり、特に微細なエネルギーや微細なことを扱うので、対面に越したことはないと今も思う。だけど、距離と空間を超えていけるのは、やはり圧倒的に便利だ。
 卒業実習は、毎回、モニター様に大好評なのだが、今回もガチセッション、超有料級のセッションが繰り広げられた。素晴らしい受講者さんたちに恵まれていて、本当に感謝感激雨霰。

 クラスでは、毎回、毎回、かなりディープなことを掘り下げていくのは、私自身、爽快の極み。私の引き出しに入っているものが、どんどん引き出されていく快感。出番を待っていた神秘の宝に光が宿るような時間だった。

 私はカウンセラーだから、セラピストを育成するというツールを使っているのだが、卒業していく人々は、セラピストに限らず、会社経営、起業、今までの職業や役目をより活かすなど、様々。兎にも角にも、自分であればいい。自分の心や魂が輝けることをすればパーフェクトなのだ。各界でその存在感で人生を潤わせ、愉しめれば、それでいいのだと、この約20年間の中で、たくさんのクライアント、受講生に魅せてもらえた。何だかものすごい達成感がある。何かが終わり、何かが始まったような気がした。

 恒例の卒業お食事会をして、自宅に帰る道道、夫から、彼にとってもその日は、大きな1日だったと聞かされた。いいとか、悪いとか、そういうことで括れないことだった。でも、私は、ウキウキした。何だか笑みが溢れてしまうのだった。そして私にとって、もっと嬉しいことに、自分が「いろんなこと全部に責任を背負おうとしてきたこと」に気づけて、かつ、その時は、背負おうとしない自分がいた。
 変化の時に、一番に自分がしっかりして、方向性を決めて、やるべきことを掲げて、的確に指示を与えていく、みたいなことを当たり前のように、それは自分がやるべきことだと思っていた。でも、自分が全部背負うのではなく、自分のことは自分が果たし、そのほかのことは信頼して、彼に任せれば心配ない!と思えている自分がいた。今まで以上に彼を信頼し、私は自分を取り巻く人々への信頼が厚くなっていることに気づかされた。それは自分への信頼も深まっていることの表れなのかもしれない。深く深呼吸できる感じ。

 今回の魔女スクールの最後に「無責任になろう」という話になった。自分の感覚に責任を果たすだけ。自分の人生に責任を果たすだけ。クライアントの感覚や選択にまで責任を取ろうとしないことは、基本だけど、それをしっかり徹底できると、セラピーの質は高まっていく。
 
 図らずも、5月10日は、夫婦共々、大きな節目になった。終わりであり、新たなスタートを迎えた。世界もどんどん今まで通りではないことがいよいよ見えてきた。いいこともあり、そう見えないことも。でも、どうあれ、全ては自分次第。全部がチャンスなのだと捉えたら、あとはワクワクすることを本気で遊ぶように取り組んでいく。成し遂げたことを祝い、何度目かの、新しい始まりに祝福しよう。
 

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