コロナ体験談【Day3-2】救急車を呼ぶ一歩手前まで悪化した時の話
七月二十三日、土曜日。十時を前にして関連機関への電話を諦めた私は、再びベッドに横になった。寝つきは悪いが、いくらでも眠れる。しばらくゴロゴロした後、再び眠りに落ちた。
午後に起きると、新たな症状に襲われた。胸の痛みだ。場所的には肺かもしれないが、両乳房の真ん中が熱い。体が一生懸命に病魔と闘ってくれていることを知り、自分自身が愛おしくなった。
「人体ってこんなに熱くなるんだ」と思った。
調べたら、救急車を呼ぶ目安に「胸の痛み」がある。
「もしかして、救急車呼ぶべき?」
しかし、痛いだけで重篤な症状は出ていない。(自分が思うに)こんな軽症で救急車を呼んではならないと思った。
誰かに相談したいと思い、救急安心センター(#7119)に電話してみた。しかし、安定の回線混雑。
「いよいよという時には救急車を呼ぼう」と決め、スマホを放り投げた。
もうこの時は、すべてのつらさが胸に持っていかれた。咳や鼻水も出るが、比較にもならない。とにかく胸が痛くてしんどかった。夜には咳が悪化。身体が弾むような、大きな咳が止まらなかった。
「痛いよう、つらいよう……」
あまりにつらいので、口に出してみた。でも先のアファメーションの件があったので、ネガティブな言葉を言うのも良くないと思った。瞑想の基本として、自分を客観視してみた。自分は本当につらいのだろうか。
身体の節々は、痛いけど耐えられる。
鼻水は出るけど、つらいわけじゃない。
咳が苦しいのは、出た時だけ。
胸は……本当に痛いね。つらいね。
そんな分析になった。ここで初めて「痛いのは胸だけ」と気づいた。逆にいうと、胸以外はそこまでつらくない。胸の痛みに耐えられれば、そこまでつらくないということが理解できたのだ。
これは画期的な発見だった。どこが痛いか、苦しいかをぼんやりさせていると、全身が痛い・つらいに襲われる。しかし「胸だけ」と自覚したら、そこまで痛みが広がらないのだ。またしても自己暗示の効果を思い知ってしまった。
土曜日は一日中、寝て起きて咳をしての繰り返し。昨夜と変わらない過ごし方をした。
しかしコロナとは面白いもので、十二時間ごとに体調が変化する。ある時起きると、つらい症状が変わっているのだ。この日は午後から肺が痛みだし、二十時頃には大きな咳に苦しめられた。一つ大きな症状で苦しんでいる間は、他の症状にはさほど苦しまずに済んだ。その点は助かった。「十二時間経てば、今のつらさから解放される」と希望が持てたからだ。
また、悪夢がないだけで、かなり過ごしやすくなったと思う。それに病院という下手な希望がなくなったのも大きい。治してもらうという依存心が消えたことで、自分の一挙手一投足に力が漲るのを感じる。
「自力で治してやる!」という思いが、一番の特効薬なのかもしれない。
こんなところまで読んでくださって、ありがとうございます!