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安原顯『娯楽としての「映画」の復権を叫びたい』(1993年)

自身が編集した『映画の魅惑』(1993年)より《》内で引用。「」は省略。


《_ぼくが映画(といっても洋画専門だが)を比較的よく見たのは学生時代、一九六〇年代前半と、映画がかろうじて元気だった八〇年代の十五年に限られている。七〇年代、アメリカン・ニューシネマ全盛期は、雑誌『海』の編集に入れ揚げていて、年に十本くらいしか見ていない。九〇年代に入ると、他の表現行為に比べ、多少は元気のよかった映画も、信じられぬくらい急速にパワー・ダウンし続け、ぼくにとって、まったく魅力のないメディアになってしまった。とはいえ、映画そのものが嫌いになったということではなく、小説やジャズ同様、昔の映画は、邪道と非難されようが衛星放送、WOWOW、レンタル・ビデオ、LDなどで激しく見まくっている。_また、ぼくが映画に対して「おえっ!」となったもう一つの理由は、世の映画評論家と称する一部の連中が、妙な感じで映画を「芸術扱い」しはじめたことだ。そして、最も不快なことは、自称、映画評論家の褒めそやす「芸術映画」なるものにイチャモンなどつけようものなら、言下に「お前には映画は分からぬ」との罵声が飛んでくる。こうした輩の跋扈に心底、吐き気を催したことも、ぼくが「映画嫌い」になった一因があるような気がする。_「映画」に限らず、小説でも音楽でも絵画でも、基本的には「娯楽・愉しみ・趣味」であって、読んだり聴いたり見たりする人が面白いと感じなければ、その人にとってはほとんど何の意味もなく、また、たとえ面白いと感じたとしても、それが絶対、普遍的な価値である筈もない。にもかかわらず、世の批評家と称する連中は、何かにつけて作品を選別し、自分の価値観・美意識こそが絶対と思い込み、図々しくもそれを他人に押しつけてくる。_映画を何万本見ただの、本を何万冊読んだのといったところで、そんなことは所詮、趣味の問題であって、とり立てて自慢出来るようなことではないが、世の自称映画批評家の中には自分の好悪などとは関係なく、「お勉強」のために嫌いな「映画」まで必死に見まくる馬鹿がいる。そういう連中に限って、その「お勉強」しているいない、見ているいないが「全人格・全存在」にまで関わる大問題なのだ。こういう連中は、ぼくに言わせれば、愚劣なる「受験勉強後遺症」症候群としか言いようがない。つまり、そうした連中は、未見の映画があることに耐えられず、受験生が英単語を端から覚える感覚とでも言おうか、一種の強迫観念から、とにかく全世界の、B級も含む名作と称される映画をクリアーしようと焦りまくる。そしてその名作の基準とは、このことも大問題なのだが、自分自身の眼力ではなく、判で押したように、決まって欧米の新聞・雑誌、欧米の監督・批評家らのイモな評価に依っている。しかも欧米のイモな評価を掻っ払った程度のセンスにもかかわらず、その基準をもって「お前には映画は分からぬ」などと、きいた風な口をきく。_面白いことに小説、音楽、絵画フリークたちにはこうした度しがたい馬鹿は滅多にいないが映画業界にはよほど田舎者が多いのか、やたらに目につく()。おそらくその根拠は、欧米、特にフランスのシネマテークあたりでしか見ることの出来ぬ映画を、「俺たちはフランス語で見ているんだぜ」程度の、田舎者特有の特権意識から来ているのだろう。_作家、ミュージシャン、画家、映画監督などを志し、結果として人生を棒に振るなどよくあるケースであり、それはそれでカッコいいとも言える。しかし、「古今東西の映画を見まくり、それをオーソライズすること」で人生を棒に振る人間がいるなど(むろん本人の勝手だが)、少なくともぼくには信じられない。


※個人的には「共感7割」「違和感3割」といった感じの「映画批評家」論。


↓『映画の魅惑』(1993年)の詳細な目次


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