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映画評論家・品田雄吉(1930-2014)氏の「70年代アメリカン・ニューシネマ」批判⁈

80’sイン・フィルム 80年代シネマ・ベスト222』(1991年/洋泉社)に収録


私は品田氏の批判?に賛同するつもりはないけれど、納得できる部分もありました。古本屋で何も知らず買った名著『70年代アメリカン・シネマ103』(1980年/フィルムアート社)が大好きで、参考にしてビデオ等で映画を観ていた部分があるので、基本的にアメリカン・ニューシネマには肯定的です。


品田氏の「70年代洋画」概説『プロローグ――’70年代の映画』一部引用。

《映画の1970年代を語ろうとすれば、当然ながら、1967年に遡って、アメリカン・ニュー・シネマの先駆けとなった『俺たちに明日はない』あたりから説き起こさなければなるまい。ハリウッド映画の行き詰まりから自然発生するようなかたちで生まれたアメリカン・ニュー・シネマは、1960年代末から1970年代前半にかけて、アメリカ映画の潮流を決定づけた。もちろん、それが、世界の映画状況に大きな影響をあたえたことは言うまでもないだろう。~~アメリカン・ニュー・シネマは、しかしその後、『ファイブ・イージー・ピーセス』()や『バニシング・ポイント』()などといった作品を生みつつ、意外に早い退潮を迎える。ドロップアウトした二人の若者が、麻薬の密輸売買で儲けた金をバイクのガソリン・タンクに隠し持って、アメリカ西部からニューオリーンズに向けて気ままな旅に出る――。それが『イージー・ライダー』(※1969年)だった。 この映画は、当時の若い世代から圧倒的な支持を得る。ヒッピーふう風俗、ロック、気ままな旅、それらを包む現代的な映像感覚。これが、当時のなにものにも拘束されない自由だった。~~そんなふうにして、アメリカン・ニュー・シネマは、アメリカの現実を暴いてしまう。社会のありように逆らって、その非を暴くのではない。自分たちのメッセージを映像化すると、おのずと社会の歪みが浮かび上ってきてしまうのだ。簡単に言うと、ニュー・シネマは新鮮な衝撃だった。だが、その成功が引き起こしたニュー・シネマの拡大再生産は、新鮮な衝撃に惹きつけられた観客を簡単に離反させる結果をもたらす。 ニュー・シネマの持つ現実に対する批判性は、観客が映画に期待していた〈夢〉を否定する。映画館に入って、ときには自分が生きている現実よりももっと〈リアルな〉現実を見せられた観客は、映画に求めていたカタルシスを得られないどころか、映画を見る前よりももっと重苦しい気分になって、再び自分の現実に立ち戻らなければならない。映画がカタルシスにもリフレッシュメントにもならないとすれば、誰がお金を払って映画館に行くか? また、ロケ撮影を多用するニュー・シネマの映画作りは、『イージー・ライダー』を模倣したパターンを生む。それを要約すると、二人ないし三人くらいの主人公がはっきりした目的もなく旅をする、というものだ。主人公を男に絞ると、男女間の愛の問題に触れなくていいので、物語の構成がやさしい。しかし、女性があまりからまないことから、ホモセクシャルというモチーフが生じてくる。これは映画にとって必ずしも一般的なモチーフではない。次に旅といったかたちで移動するから、エピソードを数珠つなぎにしたような構成になる。当然、脚本のコンストラクションがイージーなものになる。この場合のイージーは無論よい意味ではない。 アメリカン・ニュー・シネマは、アクチュアルで衝撃的であったがゆえに人々を惹きつけた。作る側から見ると、安くできるのが何よりも大きなメリットだった。が、〈夢〉がなかった。~~~


確か、『期間限定版 ベストテンなんかぶっとばせ!!』(1998年/洋泉社)の町山氏と柳下氏の対談で、品田氏を揶揄する場面があったと記憶しています。

「ウェイン町山」氏と「ガース柳下」氏の〈毒舌対談〉の一部https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1225218552


巻末の堤 夏彦氏と筈見有弘氏の文章も読み応えがあって参考にもなる名著。

https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1210032927


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