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彼方に浅草寺の大屋根がのぞまれると言った風景で…

池波正太郎作『正月四日の客』取材で、向島から馬道を通って浅草へ。

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本作の主な舞台は、蕎麦「さなだや」。

(『正月四日の客』より)店は枕橋の北詰にあり、西は大川、東は水戸家下屋敷と言った静かな場所だし、源兵衛掘の対岸は中ノ郷の瓦町で瓦焼の仕事場が堀川に沿って並び、煙がいつも上っている。大川を隔てた対岸は、花川戸、山の宿、今戸の町並みの彼方に浅草寺の大屋根がのぞまれると言った風景で…

隅田川の向う、浅草方面を眺めても、今や浅草寺の大屋根は見えない。こんな思いをするごとに、都市開発の在り方に疑問を抱く。

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浅草馬道。本作の主人公である蕎麦屋の亭主・庄兵衛に、親子二代で力を貸す岡っ引きの本拠がここだ。

(旧町名由来案内「旧 浅草馬道」より) 「馬道」という町名は相当古くからあり、「御府内備考」によるとすでに江戸時代初期には南馬道町、北馬道町の名があった。ちょうど浅草寺境内から二天門を通り抜けた左手に南馬道町、その北隣りあたりが北馬道町である。享保十五年(1730)には二天門の右手に南馬道新町ができるなどして浅草寺の東側一帯に浅草寺子院街として発展したが、明治十年(1877)この付近が整理統合され浅草馬道町ができた。そして昭和九年(1934)さらに浅草馬道町は隣接するいくつかの町を合併して町域を広げるとともに、町名を浅草馬道に改めた。
 町名の由来は諸説あるが、むかし浅草寺に馬場があり、僧が馬術を練るためその馬場へ行くおりこの付近を通ったところ、その通路を馬道というようになったと言われている

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この日は、とうきょうスカイツリー駅からぐんぐん歩いたので、ちょいと一休み。馬道交差点にあるFeb's coffee & scone。

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久しぶりの浅草は人もまばら。ゆっくりと散策出来て有難い。

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浅草寺裏、弁士塚斜め向かいの「半七塚」を訪ねる。

半七は生きてゐる 
  江戸風物詩の中に  
  われ等後輩の心のうちに

善悪入り乱れる『正月四日の客』も、この半七塚の精神然り。作者池波正太郎は、世の中、そして自分自身の理不尽と戦う事の意味、その悲哀を、本作に込めたように思われる。天命を知る年になってもあがき続ける自分も、そういった人間ならではの愛おしさを表現の真実に据える。

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