痛みと生きる葛藤、悟り₋2(「夏の葬列」)
『ガラスのうさぎ』、小学生くらいで読んだ方も多いだろうか。
この少女の像が立つのは湘南地区のJR二宮駅前。作者・髙木敏子が終戦10日前に米軍の機銃掃射で父を失った場所である。彼女は13歳だった。今も二宮駅のホームの屋根には、爆撃の跡が残る。
一方、『夏の葬列』(山川方夫作)の舞台も二宮とされ、髙木敏子と山川方夫は2歳違い。二作を通して、見えてくるものがあるような気がする。
1945.8.5ー敗戦10日前、米軍による二宮の機銃掃射
ある時、髙木さんは友人から「あなたの『ガラスのうさぎ』によく似ている」とすすめられ『夏の葬列』を読む。そして、痛感するー「あの8月5日の二宮の空襲を体験していなければ、書けない文章だ」。
戦争末期の当時、二宮に疎開していた髙木さんには本を貸し借りするような友達・山川佳代子さんがいた。その佳代子さんを山川方夫氏の妹だと確信する。
二宮の米軍による機銃掃射でつながる『夏の葬列』と『ガラスのうさぎ』。体験記である『ガラスのうさぎ』には、終戦10日前の8月5日の事実として記され、『夏の葬列』では終戦前日の8月14日の出来事として描かれる。
真白なワンピース
『夏の葬列』では、機銃掃射に狙われる真白なワンピースの少女が登場する。本作はあくまでフィクションだが、実体験に基づくだろう所以は、山川方夫の別作品『日々の死』の一節からもうかがえる-【河合(主人公)は疎開先の、町外れの海岸の一軒家で、妹の白服を目標とした艦載機の猛烈な銃撃を受けた時の、あの記憶が忘れられない。河合は井戸端に走り出して、妹を抱え、座敷に倒れこんだ】。
体験記、フィクションと形は違えど、二作ともに強烈な実体験を昇華した文学である。両者を貫く真実は〈痛みと共に生きる葛藤と悟り〉といえよう。日本という国と日本人が驕り昂ぶり、掛け替えないものをないがしろにしようとする時、立ち返る方向を示す羅針盤だ。
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