見出し画像

一日一レヴズ☆静岡ブルーレヴズと静岡をユルユル語ります*3日目〜『うちの社長』のこと〜

日本初のプロラグビーチーム 静岡ブルーレヴズ ディビジョン1に所属します。

画像1

この新チームの運営を率いるのが、

山谷拓志社長🌟🌟🌟

画像2

向かって右が山谷さん、慶応高校からアメフトを始め、慶応大学アメフト部ではバイスキャプテン、ご卒業後はリクルートでもご活躍された。

山谷さんと私は同窓だ。

と言っても、慶応高校と慶応女子高校は場所も違い交流もなかった。大学も、経済学部の山谷さんとは学部が違うので、直接の接点はまるでない。そもそも体育会学生は試験前以外学校には来ないし😅

山谷さんについて私がわかる事はこの2つくらいか。

①当時、内部進学の1番人気は、医学部は別格として、なにより経済学部だった。いくら高校受験の貯金があるから、とはいえ、アメフト部の練習をこなしながらの進学。とても優秀な方だ。

②当時、学内外で最もステータスがある体育会は、少なくとも慶応の場合はアメフト部だった。【アメフト部の彼氏】というのは女子学生のステータスでもあった😅

また、私は体育会学生が半分を占めるゼミに所属していたが、彼らに入部の理由を聞くと、大抵『アメフのセレクションに落ちたから』と答えた💦入部自体が難しいアメフト部で四年時にはバイスキャプテン、余程実力のある方であり、おそらくかなりモテたと思う🌟🌟

ちなみに、当時の慶応義塾高校=塾高は、

『塾高で起きないのは殺人だけ⁉️』

『文化祭では、入ってはいけない危険な企画がある⁉️』

『札幌の修学旅行では、みんなススキノに繰り出して【男】になる⁉️』などなど、

にわかに信じがたい都市伝説的エピソードが絶えない【日本一カオス】な男子校だった💦💦

とりあえず山谷さんは、アメフトに打ち込む事でなんとか道を外れずに社会人になれた、ということになるだろうか💦

スポーツビジネスの道に入られてからは、Bリーグ宇都宮ブレックスを優勝に導き、ついで経営危機の茨城ロボッツを再建、今季B1昇格を実現させた。間違いなくBリーグ興隆の立役者の一人だ🌟🌟

ここまでの道のりの中で、おそらく幾度となく飲みたくない酒を飲み、歌いたくない歌を歌い、遊びたくない場所で遊び、帰宅後やるせないため息をつかれた事だろう。

営業とは甘くない世界だ。表面上では酔っていても相手の心は白面、こちらの力量を隙なく計ろうとするのだから。

そして今、50歳という節目の年で、新たな土地静岡での挑戦を既に始めている。

昨日は富士山ハットを被りファンミーティングに登場😳😳😳茨城ロボッツでは納豆ハットを被っていた。社長といえども体を張る😳😳これが山谷流らしい。

私は昨季旧ヤマハ発動機ジュビロの観戦記をほぼ全節書いた。私のnote投稿を読んでくださる方はラグビーに縁のない方も多い。そういう事情もあり、指導陣にはニックネームをつけている。

監督堀川隆延さんは『タッキー』

HC大久保直弥さんは『ナオさん』

今季加入したアシスタントコーチ有賀剛さんは『GOさん』

山谷さんは、、

いくつか考えてみた。

①やまやん②やまぴい③たかし④社長、、

とはいえ、一応母校の先輩なので、

『メインスタンド入り口には、タッキーに言葉をかけるタカシの姿があった。』

などといきなり書くのも気がひけるので😅😅、

とりあえず『社長』と読んでみることにした。

昨季トーナメントでスピアーズに敗れた後、ファンは長く会場に残り静かに選手を見守っていた。そのサックスブルーのさざ波を、開幕戦から青い大波に変えてファンは応援を続けるだろう📣📣


社長、身勝手な後輩ですが、ささやかな応援を続けます。胴上げされる勇姿を言葉に綴るその日まで💐💐

静岡ブルーレヴズの皆様、良いお年を💐💐

この五体が庭だとすれば、その庭師は己の意志だ(ウィリアム・シェークスピア)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?