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脳を酷使する極限の『スポーツ』〜Number将棋と藤井二冠特集を読みながら〜

1.天才が天才と競う世界

私のクラスメイトは大学の成績も抜群だった。そのまま夢まで駆け上って順風満帆の人生が約束されたかにみえた。

クラスメイトはもうこの世にいない。20代で病に倒れた。ショックで葬儀に出席できなかった。天才は時に夭折する。

Number将棋特集、抜群に面白い。

藤井二冠は超天才だ。しかし、誌上に登場する谷川浩司九段、羽生善治九段はもちろん超天才、他の棋士の方々も総じて天才の名にふさわしい。

将棋界は、サッカーでいえばレアル・マドリードレベルのスーパー頭脳集団なのだ。

2.棋士の言葉は深い

彼らの発する言葉は、決して挑発的でもなければ過激でもない。カタカナ言葉の造語の羅列でもない。

シンプルな日本語を使いながら、自分の『言葉』を紡ぎ、過去の対局の解説から、自らの将棋観、未来への展望を淡々と話していく。

共通しているのは、強靭で前向きな未来への意欲だ。彼らは原則引き分けのない勝負の世界を10代から生きている。過酷な奨励会での修行の日々。そんなノルマ達成できるのか、と思われる程厳しい条件をクリアできなければ奨励会を退会しなくてはならない。

しかし、この誌上に登場された棋士の方々は、当然の通過儀礼のように秒速でそのノルマを達成して四段に昇進、多くが20代でタイトルを獲得している。

生まれ持った才能と、その才能を極限まで磨き上げる厳しい勝負の日々が、『棋士』なる異能の人材を作り上げるのだろう。

3.棋士はアスリート、将棋はスポーツ

誌上で特に驚かされたのは、谷川九段の言葉だ。

『10代でどれだけ勉強するかが大事で、20代は加えて経験を積む時期。(略)感覚的には大体25歳くらいでその人のトップレベルに達していて、それをどれほど維持できるかだと思います。』

棋士は、間違いなくアスリートなのだ。脳という外からは見えない臓器を極限まで酷使するスポーツ、間違いなくスポーツだ。

4.A Iと脳の間で

彼らのインタビューを読むと、ドラマチックな言い回しや挑発的な造語がなくても、戦況分析という緻密な論理から、人としての喜怒哀楽まで十分表現できることがわかる。

脳は使ってこそ生きるのだ。

その彼らが直面しているのがA Iソフトの存在だ。一手指す度に点数が出るらしい。棋士が日夜ソフトで研究に励むのは当たり前になっている。

人間が将棋を指す意味があるのか

とまで言われることがある。これは大リーグで分析ソフトの普及が野球をつまらなくしている、という話題と似たような問題だろうか。

豊島将之九段は、今年に入り、再び棋士同士の研究会を再開する事を考えている、と話している。

考える、この脳内作業の奥深さもまた知ることができた。

藤井二冠の偉業を讃えるだけには終わらない、重厚で考えさせられる特集だった。

逆に思う。スポーツの特集で、ここまで深い内容を読んだことがあったか。

これはスポーツ選手の能力、学力の問題ではない。私達は、スポーツから得られる種々の感情を、決まり切った表現で切り捨てているのではないか。紋切り型のストーリーで満足しているのではないか。それ以上の奥深さを追求する事なく。

感動をありがとう

こんな言葉をマスコミが総出で繰り返しているうちは、この将棋特集を超える誌面は今後出てこないのではないか、とさえ思う。

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