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私にとって不登校ライフは黒歴史であり必要不可欠なものだった

ある朝、この言葉が降りてきた

書きたいことはこれに尽きる

15年間に及ぶ三人の息子との
不登校ライフ

正確に言うと三人の息子たちがそれぞれに不登校や行き渋りになり、足掛け15年間、私は不登校ライフの渦中であった

当時、中2だった長男は
年月を経て30歳になる

不登校という括りは学校という枠が外れると実質消滅する
学校という箱がなくなったからと言っても不安が軽減するわけではない

実は、学校というくくりが消えても
その先にも不安感は消えない

むしろ、その先にあるもの
「生き方」に向けて問われていくため
何をどうしたらいいかと
迷う気持ちは広がるばかり

不安、誰の不安なのか
子ども本人の不安
親の不安

どう生きるか
自分の道は自分で運転するしかない

無限に広がる可能性の海

その海を息子たちが泳いでいるさまを
見守る親
このときこそ
親の自分力を試される時である

メンタルダウン
生きづらい
自殺願望、自殺計画
親に殺ってくれと迫る
引きこもり
適応障害
休職

息子に起きる様々なことを
そばで見ることになる

私は見ていても
不思議と息子の様子に揺れることはなく
凪のようだった

凪のようにいられたのはなぜだろうか

恐らく学んでいた
心理メソッドの効果とも言える

自分でいいんだ
自分を活かして生きる
自分を真ん中にしていく

そんなことが腑に落ちる自分

私は自分の壁を超えている感覚を
感じていた

もし不登校ライフがなかったら
どんな自分だったのだろうか

子どもの不登校を通じて
あり得ないほどの変化を
自分の中に感じている

感覚的なものだが
15年前の自分から見て
成長していることを感じる

(辛口な息子から褒められたのは
僅かにも他者からの成長の承認かもしれないと感じる)


不登校ライフは
自分にとって
自分の納得の壁を超える
プロセスになっていたんだと
ふと、気がついた朝

不登校ライフは黒歴史
黒歴史でなくてはならない理由が
そこにはあったのである

自分の今は
黒もあり白もあったからこそ
成り立っている





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