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14夜の話

タイトル    戦わずして克つ

 高校時代に読んだ漫画の中で印象に残っているのは、麻雀漫画とこちら葛飾区亀有公園前派出所である。麻雀漫画を高校生のうちに何百冊も繰り返し読んだ人はそれほど多くはないかもしれないが、麻雀漫画には人間ドラマや教訓が多分に含まれていたと思う。カイジなどの福本伸行の作品群やカケグルイやなどの所謂ギャンブル漫画の範疇(小さなジャンル?)に入る麻雀漫画であるが、麻雀という題材の複雑さのせいか、聡明なイメージの主人公が多く好感を持った。

 『東大を出たけれど』というタイトルの近代麻雀で連載していたエッセイのコミックス版は、東大を卒業した秀才が就職を蹴って場末の雀荘店員として麻雀に明け暮れる日々を描いたもので、主人公が自ら選んだ道を疑問を感じながらも、引き返すことはせず、その雀荘の日常に希望や光をみいだそうとする眼差しに共感を抱いた。  

 人生がゲームだったら僕にはたまらないよ。ライ麦畑でつかまえてのホールデンはそう言ったが、大人の世界では麻雀という遊戯はよく人生に喩えられる。配られた瞬間に上がっているような天才的な配牌や、将来有望な役の芽が見える配牌もあるが、大抵は人並の配牌で肩を落とすことになり、これからのツモの運と何を切るかという決断の連続に突入する。それが人生を生き始めるということで、なんとか上がりを目指すのだが、他の三人の手のスピードによっては力のある人材も潰されてしまうといった自分の力ではどうにもならないことがある点、将棋やチェスよりも現実に即している。

 僕が愛読したもうひとつのコミックス、こちら葛飾区亀有公園前派出所。両津勘吉は博打好きで多趣味で腕っぷしが強く心優しい警察官だが、金に汚くそのせいで何時も失敗する。典型的なギャンブルに不向きなタイプの人間だ。日曜日の夕方のTVアニメ版ではくだらないと馬鹿にしたくなるような展開も多かった。しかし、僕はそんな両さんに人間味を感じる。誇張されてはいるがかなりリアルに人間が描けているのではないだろうかと思う。

 一方で僕は麻雀漫画に出てくるような雀士のキャラクターたちは矜持を抱いて生きることの大切さを示してくれる存在だった。しかし彼らのような完璧な打ち手は人生には存在しないだろう。誰の人生も完璧に不完全で、ゲームなんかではないし、人はけして強くない。

 でも、自分の弱さにすべてを任せてはいけないと思う。負けを認める勇気、時には逃げる機転、うまくやり抜く賢さ、戦わずして克つ強さ。

 次のツモはなんだろうか?

 僕はいつも胸を踊らせて人生の日々を送っている。

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