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ハートチョコレート

今日はなんだか気分でです・ます調の文章をやめてみることにした。今はそこまでじゃないけど、意識して丁寧な言葉を心掛けていると、たまにドラゴンボールのフリーザになったような気持ちになる時がある(我ながらコワイ)。ドラゴンボールは大好きである。元気玉というやつは自分にも作れるのではないかと密かに思っている。(完全にヤバイやつです)

今ハートチョコレートピーナッツミニというハート型のチョコを食べながら、何かいい文章がうまれないかと、そろそろと綴っているのである。自分にとって甘いものというのは人生において必要不可欠である。私は「欲」に関してなんだか学びの多い人生みたいで、ある日お酒も煙草も禁止したほうが良いと思った時があり、どちらも一度はやめる事が出来た。でも甘いものだけは今まで一度もやめることはできなかった。もうやめられないとまらない。

嘘と本当の間というのはどういう境地なのだろうかとふと思った。もしかしたら、綱渡りをするみたいにバランスが必要なんじゃないか。バランスってなんだか、中間というか煮え切らないというかグレーな感じがして昔はあまりピンとこなかったのだけど、綱渡りってだなって思うと意外とすごい事なのかもしれないと思った。すごくエネルギーがいることのようにも感じる。

昔は嘘が大嫌いだった。でも今は嘘も必要なんじゃないかって思う。人間は嘘をつく生き物だし、「私は嘘をついたことがない」という人がいたら全力で距離をとった方がいいと思う。嘘をつけるということは想像力があるということだし悪い事ではない。また相手の事を考えた上での嘘という言い方もできる。

月が満ちている間の晩というのは私にとって厄介だ。特に満月の夜は風がひゅっと吹いてすぐに消えてしまうかのごとく、月の引力とやらに簡単にやられてしまう。感情の波が何度も何度も押し寄せて、とめられなくなる。

なので、憂さ晴らしに本当に本当に大好きな猫の話をしようと思う。こればっかりはたねもしかけもありません。

まず、猫を目の前にすると周りの目が気にならなくなる。これに関しては「残念な人」というカテゴリーに入ってもちっとも構わない。まず、妙な猫なで声で「ニャアニャア」言いながら、誘き寄せる。野良の黒猫ちゃんはかなりの確率で人慣れしている子が多い気がする。黒猫好きの欲目だろうか。あー黒猫本当にかわいい。なんでそんなにかわいいの?

昔飼っていた黒猫、その名もクロ。私が中学生の頃道端で拾い、母親と長時間に及ぶバトルの末うちの子になったクロ。

クロはよく私を頼ってくる猫だった。愛情深い猫だった。ここぞという時に本当によく私を呼んだ。

クロのお産の時も私の姿が見えないと、私の事を探しに来た。「そばにいて」って。嬉しかったし、なんとかしなきゃって思った。ちゃんと最後まで見届けようって思った。

クロは天国に旅立つ前もちゃんと「ニャア」と鳴いてから深い眠りについた。私はその時そばにいることができなかったけど、その事を聞いて、クロはやっばり最後までちゃんと私たちに愛を示してくれたんだと思った。

やっぱり私は猫が大好き。

クロ猫はもっと好きだ。










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