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先生からの宿題

「俺は今日二日酔いなんだ。」

なんと今にも吐きそうになりながら教壇に立っていると言う。「顔に自信のないやつはこっち見るんじゃねーぞ。」いつもと変わらない顔で先生は言う。要するに、汚い顔をこっちに向けるな、という事だった。大真面目に私はドギマギしながら数学の授業を聞いていた。自分の不細工な顔で先生が「おぇッ」ってなったらどうしよう。下を向いて考えるふりをしながら、それは自分の事を言っているのだと内心は素直にヒヤヒヤしていた。

出だしの挨拶は強烈だったものの、その日もいつも通りの授業が何事もなく終わった。その先生は、いつも冗談か本気かもわからないような感じの事を、シラフ(たぶん)の場合でも酔っぱらいのように話す事があった。メガネの奥の目がいつもニヤニヤしていた。先生の出す「問い」に対して、生徒が思考を巡らせている間、やはりメガネの奥でニヤニヤしながら、両手を後ろで組み身体をフラフラと揺らしながら「解答」を待っていた。

それでも、年齢を重ねた圧みたいなものもあって、どこか掴み所のない雰囲気を持っていた。やはり、一人の大人としての「答え」はきちんと持っている人なのだろうと、私自身は素直に「生徒」として接していたと思う。記憶の中で先生の太めのハスキーボイスが「正解!」と私の頭の中で響いているけれど、それは今思うと酒焼けのせいだったのかもしれない、と思ったりする。私は「真面目」な生徒だったので、先生の軽いのりについてゆけず、授業中以外はあまり話す事はなかった。

おそらく定年退職だったのだと思う。その先生は学校を離れることとなった。記憶が正しければ先生との授業は中学二年で終わってしまったような気がする。先生と過ごした時間はとても短かった。最後の日、一人一人先生のもとに挨拶に行った。その日先生は今までのようなチャラい態度から一変し、まるで金八先生のように生徒一人一人それぞれに対して、最後の言葉を贈ってくれた。

「自分の感受性を大切に」

それが私が先生から貰った言葉だった。「二日酔いのちょっとチャラい先生」という独特な存在感とともに、それは意外にも何年も私の心に住み続けたのだった。しかし、恥ずかしながら、その言葉の意味に気付きはじめたのは、ここ数年の事である。なんとなく気になっていたけど、ずっと押し入れの向こうにしまっておいて「あ、確かこんなんあったな」と、うっすら気になりはじめて、そして今に至る。その言葉の意味を、私は正面からもう一度見つめてみるのだ。何十年も前から、その言葉は密かに存在し続けていた。そして今また確かな熱を持って私に問いかけてきたのである。今までの私はまわりからはみ出して、独りになってしまう事を極端に恐れ、いつしか自分の感受性を扉の奥に押し込めてしまっていた。そしてどこから引っ張り出せばいいのか分からなくなっていたのかもしれなかった。

「自分の感受性を大切に」

そうか、あの先生のメガネは未来まで見透せるという、ドラえもんのアイテムより強力なものだったのかもしれない。真面目なふりをしているだけの、チャラチャラのスカスカな私が先生には見えていたのだ。

あの頃、複雑な方程式で正解を貰える事が嬉しかった。それには一つ一つちゃんとした答えがあったから。でも今は正直、正解が分からないことの方が断然多いのである。いや、もはや正解なんてものは存在しないのだ。自分なりの答えを出すとすれば、私は理路整然とした世界で、きちんとした人間になりたかったけど、どうやらそれは私の答えではないという事だ。それも答えの一つなのかもしれないけど、今はまた別の答えを探している時なのかもしれない。

「自分の感受性を大切に」

最後に先生から貰った言葉は、私にとってかなり難解で厄介だった。これから正解のない問いに対して、自分なりの「答え」を出しながら生きていかなければならない。だから、A=x+y+zだって、A=a×b×cだって、A=@@@だって正解だ。ちょっと強気に天才のふりをして、気の向くままにアルファベットを並べてみる。これでいいのだ~とバカボンの軽快なリズムが頭の中で鳴り響いた。

意外と簡単なのかもしれないな。

「正解!」

とメガネの奥で先生が優しく笑った気がした。



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