自分が「女」であることと男の自信
人間というのは嫌でも男と女がいる。
中性的な人や性転換を行う人もいて、それも素晴らしいことだ。
一般的な人よりも、「男とは?」「女とは?」を自分の中で深く深く考えながら生きているんだと思うから。
しかしわたしは「女」なんで、今回は女として思ったことを、空回りしていた過去と共に書いてみようと思う。
わたしは恵まれたことに、若いころから男に困ったことがない。
媚びなくても、冷たくしても、男の人がちやほやしてくれたし、常に複数の男性の中から付き合う相手や遊ぶ相手、迎えにきてもらう相手を選ばせてもらうことができた。
芸能人にスカウトされたことなどないし、トークが上手いわけでもないけど、なぜか女の子たちから「モテるよね」と言われることが多かった。
女だったら男に困らないのは普通のことだと思っていたんだけど、周りよりちょっと好意を寄せらる回数が多い方なのかな、とそのときに気づいた。
今考えると、うちは家庭環境があまり良い方ではなかったから、そういう好意を寄せてくれる男性たちに救われていたところがあるかもしれない。
わたしって必要とされてるんだな
わたしを大切に想ってくれてる人もいるんだな
ここに存在してていいんだな
って自分で埋められない承認欲求を、男たちで埋めていたのかもしれない。
しかし、他人様の好意にそんなネガティブな思いを持っていたわけだから、ツケは回ってくる。
好意を持たれることや告白されることが気持ち悪くなったのだ。
軽く口説いてくる男性に対してはリアルに吐き気が起こるほど、拒絶反応が起きたりした。
わたしの思う「好き」と相手の伝えてくる「好き」がどうも違うのだ。
わたしの「好き」と定められる基準が100とするなら、相手は20くらいで「好き」となっているように感じる。
こちらからすると、本気じゃないくせに「好き」と伝えてくるように聞こえるわけだ。
こちらがその「好き」を本気にしてしまったら、捨てられたりしたときに傷つくのは自分なんじゃないか?
相手の気持ちを信じることが怖かった。
自分が重いんだ、と自分を責めた。
人様の好意に感謝もできず、その気持ちを疑い、試すようになっていった。
誰に好かれても、何人に思われても、心が満たされることはなかった。
自分は自分を守るために強くならなきゃ
その思いだけが大きくなっていった。
大きくなる分、人に向けて心を閉ざしていった。
どんどんさみしくなっていった。
何十人に告白されても、彼氏がいても、いつもひとりだった。
人とは分かり合えないことが普通なんだ
心から寄り添うなんて幻想に過ぎないんだ
どんどん人に対しても自分に対しても、諦めることが普通になっていった。
昔から「普通」がわからなくて周りから浮いていたわたしは、そういうのが一般的には「普通」なんだと学んだ。
それを「一般」に混ざるための落としどころにした。
普通を学び、一般に溶け込んで幸せになるはずだったのに、「なんか違う」その気持ちが消えなかった。
おもしろくもないのに作り笑いしては、偏頭痛に悩まされ、帰ってからどっと疲れが出た。
何も作らなくていいひとりの時間が救いだった。
でも独りになるのは怖かったし、多くの人と仲よくしていることが幸せなことで「普通」なことだと思ってたから、自分の心を殺しながらでも人に嫌われないこと、変だと思られないことをがんばった。
そのうち自分の心が本当にわからなくなった。
何が楽しくて
何が嫌で
何が本当に大切で
どうやって生きたいのか
わからなくなっていた。
「きみの好きなようにしていいよ」
そういわれても、何が心から好きなことだったのかわからない。
思い出せない。
自分のことはいつでも自分はわかっているはずだと思っていた。
でも、さっぱりわからない。
自分の心をキャッチできなくなっていた。
そんな状態で誰かと付き合うもんだから、幸せよりも不満の方が多かった。
なんで○○してくれないんだろう
わたしのことが大切だったらこうしてくれるはずなのに
もっと楽しませてよ
だってみんながそれが本当に想ってくれてる男の行動だよって言ってたから。
だから、想ってくれるなら証拠を見せてよ。
相手に期待して求めてばかりいた。
だって男は女に尽くすものだから。
女は尽くされてなんぼだから。
そうやって本に書いてあったから。
そんなことを思っていた。
喧嘩になっても本音を見せて本気でぶつかりあうことなく、どこかで客観視しながら喧嘩を演じる自分を見ている自分がいた。
なんでこんなアホくさいことに怒鳴り散らしてるんだろう?と思いながら、自分は間違ってないと証明したい自分もいて、もう何が自分なのかよくわからなくなっていた。
自分の心がわからない。
一時の楽しさがあったとしても、次の日にはもう苦しかった。
なんか違う なんか違う
そう思いながらどうしていいかわからずに過ごし続けた。
「ちゃんと自分を生きたい」
そう決意した数年前。
自分を変えることは、わたしにとっては数年間の忍耐と努力が必要だった。
その結果今となっては、昔とは考え方が全く変わっている。
今、数々の男との過去の経験をどう活かしたいかな、と思うと、
愛する人の自信にしてあげたいな、と思うようになっている。
あなたは何十人、何百人のお誘いがある中から選ばれた男なんだよ。
すごい人なんだよ。
わたしが選んだってことはあなたは良い男なんだよ。
だから、自信を持ってもらわなきゃ困るよ。
わたしの中では過去の男関係って、自己中で、たくさんの人を傷つけて、きっと恨まれたりもした黒歴史だけど、
そうやって、自分の経験が、相手の自信のために変換できたらいいなって思っている。
何人の人に好かれるかっていうのは大事だけど、それは「人間として」でいいかな、なんて思っている。
女としては「どれだけ深く愛し愛されるか」が大事だなってわたしは思う。
多くの男性にモテながら、魔性の女的に生きるのが幸せで楽しいならそうやって生きることは何も間違ったことではないけど、
わたしは心から大事だと思える人と深く想いあいながら生きるのが自分らしい幸せなんだな、と気づいた。
わたしが選んだ男なんだから自信持ってよ!
そう言ってあげられる女になりたいなって思う。
だから綺麗でいさせてくれる男と一緒にいたいし、「美しいってなんだろう?」って自分も意識しながら生きていきたい。
男って良い女を連れてることが自信につながると思うから。
綺麗になることって楽しいし、美しく生きることって嬉しいことだから。
それが自分のためだけじゃなくて、好きな男のためにもなるなら最高じゃん!?って。
今世は女を生き切ったわ、って最期のベッドの上で言えたらいいな。(笑)