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毒親と中世の家父長制

私の父は経済DV、暴力、暴言は当たり前でした。
表面的には家族を色んなところに連れて行ってくれる
家庭思いの男性に見えたかもしれません。

その私の父の系図について


自分の父の家では祖母が弱い立場にあったと聞いています。

分家の娘で本家に嫁入り、第一子流産、戦争帰りの祖父は女遊び。
曾祖母は体の不自由で優しい曾祖父の代わりに家の女主人でした。

第二子長男の父は家で暴れ回り、曾祖母を支配的でデブで乱暴な女と言ってました。

父の母、祖母は若い時、男性に襲われそうになったそうで、
その時の恐怖が彼女の持ちネタでした。

祖母は消極的で、父に寂しい寂しいとよく言っていました。

一緒に暮らし出したら、父はせっかく帰ってきてやったのにと激昂していました。
祖母はあくまで自分が可哀想で愛おしいようでした。

祖母のトラウマ話は彼女が構ってほしい時や
複数の人から注目を浴びたい時に言うものでした。

私と二人きりの時祖母をケアしてからは私には言わなくなりました。

が、私に子供を早くたくさんこしらえなさい、学歴は必要ないのよと諭す祖母でした。

昔の日本の家庭では、
一族の存続が第一優先事項だったので、
子供の個性や得意な事を親が尊重するのは
稀だったのかもしれません。

祖父もまた、たった一人の長男で複数の姉妹達に
囲まれて生きていました。

曾祖母も優しく品があるが体の不自由な曾祖父を
持て余していたのかもしれません。

女は徒党を組む可能性があるので、
少数派の男だった祖父と曾祖父が
どういう扱いだったかわかりません。

ただ、祖父の葬儀の時、痴呆を患っていた
祖父の三番目の妹が「兄さん兄さん」と何度も憐れんでいました。

女遊びの癖のある祖父の寂しさを知っていたのか
尊敬だったのかはよくわかりません。

父は「自分の父は厳しい人だった」と
私の友人でもある年配の方に語っていたそうです。

しかし、父は聞くところによると
家で暴れる、学校ではいじめをする
けれど街中での喧嘩は避ける等

かなり好戦的な人格でした。
動物が好きですが動物は父を避けます。
こんなに尽くしてるのにと父は激昂しました。

父は子供は無条件に好きです。
でも小学校低年くらいまでです。

そこから先は脳が発達して、子供は大人になっていくからです。
社会で生きるために想像力や考え方が定着していきます。

中世の教育手法である家父長制は
後継者を管理する側と支配下に置かれる側に分かれます。

人格があり、反発があると面倒くさいのを
父自身はよくわかっていたようです。

自身が好戦的な子供だったからです。

父は教育、躾として
先に子供に暴力で叩き抑える事を
徹底しました。

私が父親のケアができたのは
彼の目の中に怯えるものがあったから
入り込めました。

本当は父は繊細な人でした。
https://twitter.com/snovthkin/status/1507163201053822978?s=21

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