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自分は何者なのか、という問い


小学生中学生で
“自分は何者なのか”と問うほど
悲しいことはありません。

家で自分の存在を軽んじられるから
考えてしまうのです。

親は親なりに接してるのかもしれませんが
現代の自己表現社会だと
子供は親の自己表現の道具になるか
親の自己表現の邪魔になるのです。

親自身の自己が形成されてないから
子供を許せないのです。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491590357527707650?s=21

毒親に育てられた人達は早熟です。
早く大人にならなければ
自己(役割)を確立しなければ
家の中で生きていけないからです。

ヤングケアラーになったり
怒号を浴びせられる役割(サンドバッグ)を担ったり
親に暴力を振るう役割を担わせられたり

社会が“自己”と呼ぶものには該当しない
自己を獲得します。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491591934024232962?s=21


「自己」は感覚ではない
また、感覚は「私」ではないと世間ではいいます。

確かに“自己”は感覚にありません。

個人的な見解ですが、
“自己”は自分自身で何を獲得したか、
自分自身で何と立ち向ったか、

“自己”は親から与えられたものではなく、
自分自身が選択した道で経験したもので
形成されると思っています。

人生は親から離れた時に始まるのかなと思っています。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491584468238626819?s=21


あまり、自分や自己証明、そういうのに
頭を悩ませない人達がいるのも事実です。
それが普通で、大多数かもしれない。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491583156587462657?s=21


現代の先進国、日本だと東京都辺りは
”実績“を自己証明とします。

問題のある親と戦ってきたことは
“実績”にカウントされません。

どんな技術的なことができるのか
タイピング能力
プレゼンやセールストーク能力
ソフトウェアや機器を使いこなせるか等が

現代社会における個々の“自己証明”です。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491598472348602373?s=21

東京都以外の地方は
人間はまだ頭数としてカウントされるので
そこから釘打ってくる奴を
かわしながら実績作るのはアリかも
しれないですね😆 
https://twitter.com/snovthkin/status/1491598876113260545?s=21


幸福を感じるには

自身の気分を細かく識別、分類、言語化できる人ほど
状況に応じた適切な言動を発し、
結果ストレスも減り、
仕事もうまく回せるそうです。
https://twitter.com/snovthkin/status/1491578389161218048?s=21

それと、
“人間は分類不可能なものを気持ち悪いと感じる”
“世界の解像度が上がると”自分の視野から
“キモいものがどんどん消えていく”

“解像度を上げるのは教養”だそうです。😆 
https://twitter.com/snovthkin/status/1491577197613961219?s=21


自分が何者なのかという問いかけを持つことは悪いことではありません。
もしその迷路にはまってしまった時、
ぜひ、自分が他人のために何をしてきたか、
自分を守るために何をしてきたか
振り返ってみてください。
そこに人生をそれだけ取り組んできた自己証明が見えるかもしれません。



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