見出し画像

【経験談】サッカー選手とサラリーマンを経験をして感じていること3つ紹介

どうも、たきやです。大学卒業から4年間プロサッカー選手として活動。

経歴はJ2(2部)、J3(3部)、JFL(4部)リーグを経験して引退。

引退後、WEBメディアを運営している約30人規模の会社で1年半営業マンとして働く。

それからもう一度、転職活動をしてアプリ運営をしている会社で広告の営業マンとして働いている28歳。


今回は会社員生活も3年目突入といったところで勝手ながらにサッカー選手としての経験とサラリーマンとしての経験での違った特徴3つをピックアップして書いていく。

気になった項目だけ読んで、気にならないところは飛ばしてください。

言い訳ができない生活が当たり前なサッカー選手

いい大人が言い訳をしている瞬間を見かけるサラリーマン生活

ぼくは引退してから2社を経験している。


仕事、遊び、飲み色々な場ですっかり「サッカー選手との絡み」よりも「サラリーとの絡み」が圧倒的に増えたこともあり違和感を感じることがある。


「言い訳の頻度が多い」これが結論。


もちろん全員がそうではないけれども結構いる。


たとえば、仕事で期日が遅れてるタスクに対して「なぜこのタスク終わってないんですか?」と聞かれた際に「これは〇〇な理由で終わってません」ではなく「申し訳ございません」が先。


〇〇な理由でなんて遅れているのだからその時点で迷惑がかかっている。申し訳ございませんが先だと思う。


恐ろしいことに世の中にはこの手のタイプが結構いる。


間違ってもあーはなりたくない。


一度、1年契約の世界を味わうと良い。

敗因はお前だみたいな空気はすぐにわかるのがサッカー選手での経験だった

ちょっとここでビジネスの世界で使う言葉で表現するとサッカー選手はステークホルダーから露骨に評価をしてもらう仕事だ。

ステークホルダーは、株主・経営者・従業員・顧客・取引先のほか、金融機関、行政機関、各種団体など、企業のあらゆる利害関係者を指す言葉です。 

フレマガから引用


スタジアムでは観客何千人、何万人に見ている中で


ボールの行方と選手の動きを常に見てもらっているわけで失敗したプレーに関しては何千人、何万人が「あーあ」と落胆する。


同時に、そのミスのせいで翌週のリーグ戦に監督がベンチ外になっている選手を見てきた。


逆もあるけれどもそれくらいシビアな世界で生きているからこそ「言い訳」がどれほど滑稽なものか。

選手は言い訳をしないで直向きにグランドで力発揮できるように試行錯誤しながら走っているだろう。


だからこの後にも書くがベクトルは常に自分なのが当たり前。

基本的に矢印のベクトルは常に自分なのが当たり前

ありきたりなタイトルかもしれない。


頭では皆わかっているけど実際は頭で理解しているだけの人が多いから書く。


ここで伝えたいことはサッカー選手は「言い訳の概念がない」


いかなる環境でも試合に出れなければ監督に認められる方法を考える。


ぼくはこの考えが根底にあるから最短ルートで社内で認められる方法を自然と考える。


変えられないことを考える時間より、


変えられる自分を変えていくことが最優先。


会社員1年目で本でキングオブ自己啓発本と言われている7つの習慣を読んだ。


この本を読んだときにサッカー界ですでに7つの習慣の第一の習慣を学んでいたなと感じた。



まとめ

・言い訳する大人の多さに驚いた

・サッカー界はその点言い訳が少ない。

・サッカー選手での学びは「ベクトルは常に自分」

言葉選びが雑なサッカー界と言葉選びが丁寧な会社

「闘えよ」「やれよ」「ナイス」と至ってシンプル言葉の嵐がサッカー界

小学校3年生から25歳まで続けてきたサッカーだからこそ違和感はそんなに感じなかった。


感情的な言葉で「闘えよ」「やれよ」「ナイス」とグランドで飛び交う声。


もちろんそういった掛け声は必要なときもあるけれども仕事ではまず使わない。


まさに「抽象的」といった言葉が最適な言葉かと思う。


驚きなことにプロになってもこのような言葉を指導する側が使うことはあった。


ぼくはサッカー選手になってから10人以上の指導経験のある人とサッカーをした。


言葉選びが丁寧でわかりやすい指導者は3人くらいだった。


それ意外は選手の頭の中と指導する頭の中のイメージのズレがあり曖昧な状態が続くチームがあった。


良い監督、指導者は秩序を正す。アナーキーな状態で事を進めない指導者は大木武監督だった。


それ以外の指導者は正直な話、乱暴な言葉で困惑するような指導がほとんどだった。


これは指導者だけではなく選手間のコミュニケーションでもある。


サッカー界でなぜそれが起こるか答えは一つ。


「言語での表現」ではなく「動きでの表現」との2軸の世界で動いているから。


会社員になってからは当たり前だけど表現の仕方が言葉だけになった。


だから本を読んで言葉を勉強する日々が続いている。


サッカー界が今後発展するにはビジネス界隈を味わってからしか指導者にはなれませんといった制約をつけたら面白いと思う。(極端すぎるけど、、、)

言葉でしか表現ができない世界だからこそ丁寧なビジネスの世界

これは今でも苦労しているポイント。


サッカー界は先程も書いたが「動きでの表現」がメイン。


正直な話し言葉選びをすることは少なかった。


ビジネスの世界は「言語での表現」が出来なければ話にならない。


今は会社員3年目に突入したけれどもまだまだアップデートしていかなければいけない。


ここに関しては会社員生活を大卒から送って来ている人は上手だなと思う。


たとえば、結論から話せと言われることが癖づいてたり


こんな概念はすぐにできるけれどもサッカー界ではない。


サッカーの指導者で結論何が言いたいのかわからないな


なんてことは日常茶飯事だった。


一度ビジネスサイドにそんな指導者の方は来て見たら良いと思う。


多くを学べる。

「安住する」概念なんて無い

歳を重ねた会社員ほど草原にいる牛みたいな生活を送っている。


会社にいても暇そうにツイッターを見ている時間が長い人。


電車で周りを見渡せば携帯ゲームをしている人。


在宅勤務をいいことに家で仕事をサボっていると居酒屋のとなりの席から聞こえてきたりしたこともある。


たいていベルトの上に脂肪が乗っかっている中年のおじさんだ。


昔、面接でどこの企業かわすれたがそんな風防のおじさんに「君は4年も遅れた会社員としての生活を挽回できるか?」と質問された。


その時はわからないけど追い抜けますよと社会経験のない自分の厚みの無い言葉で答えた。

今はっきり言えることは抜けると答えられる。


ある程度、歳を重ねると自分の地位に安住する人がほとんどだ。


だからこそ、会社員という選択をしたサッカー選手は勝てるチャンスがあると思う。


安住する概念はサッカー界にいればそもそもの概念としてないからだ。


クビと隣合わせで生きていくキャリアは財産になる。


うさぎと亀のレースでいうところのうさぎみたいな事はしない。


うさぎの速さで一生走り続ける習慣が身についているのがサッカー選手を経験することのメリットだ。

1年契約といった生活が「アップデート」を当たり前にする

一個前の段落で書いたけど、サッカー選手というのは


毎年12月頃に契約更新の時期が迫ってくる。


そのときには下のツイートに写っている紙を渡される。

毎年(1)~(3)の段に◯をつけてもらわなければ


サッカー選手を続けられない。


そのために日々試行錯誤して生活をするのと


先程、たとえ話で表現した草原でのんびりしている牛のような生活を送っているような人だったらどちらが強いかどちらが10年後価値のある人間になっているか。


ぼくは1年契約で生きている選手のほうが強いと思う。


だからサッカー選手から会社員の選択をした人間が活躍できる確率は高いと思う。

最後に

会社員生活3年目に突入したぼくが素直に感じたことを書いてみた。


ぼくも3年目になり可処分時間の使い方が草原にいる牛みたいな生活になっている時がある。

なんて情けないんだと落ち込むことがある。


そんなときに思い出す言葉がある。


人は誰もが全員、死を背負って生きている。

生から死への道は一方通行だ。
「たった一人の熱狂」から引用


生まれたときから死へのカウントダウンは始まっているわけで死を想像した瞬間、サッカーで活躍出来なかった過去のまま人生は終われないから頑張ろうと。


だからこそ会社として売上があまり立っていない九州に転勤することを決断した。

(関東に残れる選択肢もあった)


今の会社は従業員70人~80人くらいの会社で九州の営業はぼく含めて2人。


この環境で草原でのんびりしている牛のような生活は送れない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?