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生活保護の申請権に関する考察

はじめに-生活保護制度と「水際作戦」


 生活保護制度は、憲法で保障された健康で文化的な最低限度の生活を保障するための重要な制度であるが、生活保護受給の入り口である申請段階で、制度へのアクセスが平等に保障されていない実態がみられる。この問題は、一般的に「水際作戦」と呼ばれていて、自治体の生活保護相談窓口において生活保護の申請に至らせないように助言や指導を行うことを指す。実務の現場では、一人で保護申請窓口に行った場合と同行者を伴っている場合でケースワーカーによる対応や、申請の可否が異なる場合があり、生活保護の受給要件を充たした人に対する平等な生活保護へのアクセスが保障されていないという実態が少なくない。言うまでもなく、生活保護受給希望者が単独で窓口に相談に行った場合と同行者とともに窓口に行った場合で受給要件が変わるわけではないので、ここに生活保護の申請段階における問題の特徴を見出すことができる。筆者は、1998年から約14年間、全国生活と健康を守る会連合会(略称・全生連)という低所得者を支援する団体の事務局で働いてきた。現場で支援を行いながら感じてきたのは、いつも全国各地で報告されるこの「水際作戦」について、法令に沿って申請行為が行われるはずなのに、なぜ行政により申請を妨げるような行為が行われるのかということであった。

 例えば、稼働年齢層の要保護者が「まだ若いので」と言われ申請できなかったり、体調不良で簡単な家事しかできないにもかかわらず「軽労働可能」ということで就労ができるとして申請させてもらえないといった事例が挙げられる。


Ⅰ 生活保護制度における水際作戦の実態と問題点


1.新型コロナウイルスによる生活困窮と生活保護制度の重要性


 生活保護の「水際作戦」についての全国的なデータは残念ながら無い。しかし、平成17年7月6日に行われた第3回生活保護費及び児童扶養手当に関する関係者協議会で配布された全国市長会提出資料「生活保護率における地域間格差の原因分析のための調査」で平成16年度の釧路市・大阪市・高知市について、相談来所件数と実際の生活保護申請件数が出ている。



 バブル崩壊後の「就職氷河期」を原因とする非正規労働者の増加、2008年に起きたリーマンショック時の派遣切り等を経て、こんにち、新型コロナウイルス感染拡大の影響による解雇・雇い止めという社会経済情勢のもとで生活困窮者が増大する中、生活保護制度が最後のセーフティーネットとしての機能を発揮することが求められている。約4割が非正規労働者といわれている中で、働いていても低賃金で低い額の年金しか受け取れない人たちが今後増えることが予想され、要保護性が認められる可能性があればスムーズに生活保護申請が受理されることが重要となる。しかし、自治体によっては「水際作戦」によって申請が妨げられるということが実態である。以下で、事例を挙げておく。


2.水際作戦と生活困窮者の悲劇-銚子市の事例


 千葉県銚子市の県営住宅に住んでいた母子世帯(母はパート労働者)が生活に困窮し家賃を滞納してしまった。娘の中学校進学に伴い制服代などが必要となり、社会福祉協議会から借り入れしたものの、それでも足りず、ヤミ金融からも借金しなければならなくなった。その後、元夫が養育費を支払わなくなったことで家賃の滞納が始まった。国民健康保険料も未納であったため、短期保険証を発行してもらおうと訪れた国民健康保険課で生活保護の窓口を紹介され、相談したものの、生活保護の申請とはならなかった。         
 銚子市は、この母親が生活保護制度の概要を知ろうと来所しそれを前提に事情を聴いたと説明しているが、短期保険証が発行されたことは生活保護相談窓口での面談票にも記載されており、生活に困窮していることは明らかである。このような生活困窮状態の者が単に生活保護制度一般の説明を受けるためだけに相談窓口に行くということは通常、考えられない。「住まいを追い出されたら、親子二人は生きていけない」と悲観した母親は、強制退去当日の2014年9月24日、娘を殺害。事件当日、母親の所持金は2717円で母親と娘名義の預金残高は合計1963円であった。




Ⅱ 生活保護の申請過程における法的論点


1.生活保護の申請における「相談・助言」の特殊性


 生活保護は、職権による保護を除いて申請保護が原則であり、まずは申請が必要である。この場合、単に申請書を書いて提出するものではない。生活保護については通常の行政手続とは異なり、申請に至るまでには、他の行政手続きには無い生活保護制度特有のプロセスを必要とする。それは、生活保護申請前審査ともいえる「相談・助言」であり、生活保護法27条の2を根拠とするものである。

 この「相談・助言」において生活保護申請を侵害する「水際作戦」が行われる場合が少なくない。

 ただし「相談・助言」は申請を妨げる場となっている実態がある一方、申請行為にとって重要なプロセスであり、この相談・助言をなくしてしまうことも現実的ではない。なぜなら、生活困窮者の中には学校に通えなかった等の理由で申請書に書かれていることを読めなかったり理解できないこともあるし、知的・精神的障害をかかえている場合もあり、ソーシャルワークを通じて申請者を援助する必要があるからだ。また、生活状態が急迫して保護申請窓口へ訪れた人に対しても、聞き取りを通じて生活状況を確認する「相談」というプロセスが不可欠だからである。よって、生活保護相談窓口に申請書を常備して自由に記入して提出できるようにすれば解決できるというような単純な問題ではないといえる。


2.生活保護の申請における権利と公平な取扱い


 これらのことから、申請前の相談・助言の必要性が認められる一方、手続きの公平性や適正さについて考えるには、法的権利について考えなくてはならない。法的権利は、例えば、申請段階における平等な取扱いを行政に求める根拠となり、場合によっては行政の行為を拘束する強力な機能を持つ。もちろん、法学の観点は決して万能ではない。生活保護の申請を必要とする人びとの中では、現実には生活保護法や生活保護制度への理解にかなり差がある。そのため、弁護士などが行う同行支援に見られるように、支援される側の脆弱性への対応によって保護申請権が保障されるという仕組みも大事である。

 しかし、このような同行支援のネットワークづくりが全ての地域に実現されるまで公平性と適正さが確保されないという法制度の運用を放置するわけにはいかない。生活保護の申請前審査ともいえる「相談・助言」について行政側の視点から検討すると、面接担当者が誤った印象を根拠として指導することによる判断ミスが生じる可能性も否定できず、受給要件のある生活保護受給希望者がこのような判断ミスを受け入れてしまった場合の不利益を是正する方法は、現行生活保護制度には備わっていないため、申請段階での取扱いを是正する必要性がより高いといえる。


Ⅲ 水際作戦に関する裁判例の検討-要保護者の申請意思と行政の義務に着目して


 そこで、法学の観点の限界を理解しつつも、法学的な観点から論じることが大事であると考える。

 本論文は、以上のような問題意識から、生活保護の申請権に関して論述されている議論の到達を明らかにするものである。

 それでは、生活保護の申請について、裁判所がどう考えているのかを説明しよう。まず、生活保護の申請権侵害に関するに裁判例についてであるが、その前に裁判所の目的について触れなければならない。

 裁判所が行うのは、原告の主張が妥当であるか否かを判断して、訴訟の解決につなげるということである。そのため、生活保護申請のあるべき姿について丁寧に一般論を展開する必要はない。そこで、裁判例から申請権の手がかりを得る際には、間接的な表現にも目を向けることが重要となる。

 ここでは、三郷市の事例と北九州市の二つの事例を紹介する。いずれも原告が国家賠償を請求したものである。


1.裁判例①-さいたま地裁平成25年2月20日判決


 三郷の事例でさいたま地裁は、申請権の侵害になる場合を列挙している。例えば、申請の意思が明らかな場合、基本、無条件で受け付けなければならないとしても、どのような場合に、申請の意思が明らかであるといえるか判断するのは容易ではない。一例を示すと、「年齢が若いから働けるので生活保護を受けられない」とか「親族による扶養が保護の要件」というように生活保護を受けられないと誤解を与え、正確な情報提供が申請者になされず、それによって申請に至らない場合には、申請権の侵害となる旨述べ、また相談内容から申請の意思を知り又は推知し得たにも関わらず、申請を受け付けなかった場合には、申請権の侵害になるとしている。これらの判示から、申請者と行政の間の情報の非対等性を考慮し、行政に対し正確な情報提供や、申請者の申請意思を推し量ることを求めていると読むことができる。


2.裁判例②-福岡地裁小倉支部平成23年3月29日判決


 これに対し、小倉の事例で福岡地裁小倉支部は、生活保護の申請手続において「他の行政手続にもまして、利用できる制度を利用できないことにならないように対処する義務がある」として保護実施機関の義務の存在を正面から認め、「生活保護は、憲法25条に定められた国民の基本的人権である生存権を保障し、要保護者の生命を守る制度」と述べて生存権保障が行政の義務の背景にあることに言及している。

 「保護の実施機関が助言・確認・援助義務を尽くしていれば申請行為がされていたであろうと認められる場合は、端的に助言・確認・援助義務違反自体によって生じた損害賠償を認めることができる」と述べ、保護実施機関の義務は明示せず義務違反の局面を例示したさいたま地裁と比べ、特徴があると考える。

 ただし、福岡地裁も申請意思の有無を判断する基準についてはある程度の厳格さを要求している。福岡地裁は「実施機関に対し法の適用を求めるものでなければならず」、保護の条件に合えば生活保護を受けたいという意思表示は「保護の適用を受けたいという単なる希望とは区別されるべきものである」と述べているように、さいたま地裁と同様に共通して明確な申請意思表示が申請受け付けの重要な要素であることを指摘している。


3.各判決の判断枠組みの分析-申請段階における行政の義務と申請の意思表明


 ここまでみたとおり、二つの裁判例はともに、申請段階における行政の義務に言及。行政が、申請者に対して、情報提供や申請者の意思を確認する義務を負う理由として、生活保護制度では、行政が大きな権限をもっていることが挙げられる。

 福祉事務所は、生活保護が必要とされる人たちに対して、指導・指示(27条)、相談・助言(27条の2)、調査および検診命令(28条)などを行うことができる。福祉事務所は、申請者よりも多くの情報をもち、また申請者に関する情報を調査する権限をもっているため、申請段階であっても、両者の間に情報や交渉力の格差があるのは明らかである。筆者は、この非対等性という面から、保護実施機関の保護申請における義務に着目した。

 裁判所が、申請段階での行政の義務を示すことで、保護実施機関による「権限」の逸脱・濫用が抑制されること、また申請意思の判断基準が示されただけでなく、福祉事務所に申請意思の形成、表明を援助する義務があると示唆されたことが、重要なポイントであると考えた。


4.水際作戦の具体的な場面の検討-申請意思の解釈と申請権の侵害


 以上、申請段階の行政の義務について抽象的なレベルで説明してきた。次に、具体的な問題解決という視点から、先ほど挙げた三郷市と北九州市の事例において、福祉事務所のどのような対応が申請権の侵害にあたるとされたのか、みていきたい。


(1)三郷の事例における誤った教示


 三郷市の事例では、申請者が複数回福祉事務所を訪問している。

 この時の申請者の生活状況としては、夫が白血病で入院して仕事ができなくなり、失業保険はなく年金の受給もない。娘の不登校などが原因で精神科に通院していて、医師から「就労が難しい」とされ、今までほとんど就労経験はなかった。同居家族で唯一働くことができる息子は週4日勤務のアルバイトで収入は月約7万円。所有する車のローンが月6万円。独立している娘は収入が不安定なためにこの娘からの援助は望めず親族からの援助も難しい。生活に困窮していると述べたのだが、福祉事務所の職員からは「働けるのであれば働いてください」「身内からの援助を確認してください」と言われた。

 1回目の面談でも「働いてください」「親族からの援助を」と福祉事務所から助言されていたことから、裁判所は2回目の面談での職員の発言は、働いて収入を増やして、さらに身内からの援助も求めなければ生活保護を受けられないと申請者に誤信させてしまうものであると認定している。

 裁判所は「(原告が)面接の当初は申請の意思を有しながら、申請にいたらなかったのであるから」、職員がした発言は、「申請権を侵害するものである」と述べている。福祉事務所の職員が、聴き取りで原告が収入を増やすことや親族からの援助が見込めなく、生活困窮を認識していたということから、生活保護の申請意思があると推察できたにもかかわらずなされたものであるから、裁判所は福祉事務所職員に「(原告の)申請権を侵害したことについて、少なくとも過失がある」と述べた。

 この事例では、申請意思の認定とともに、福祉事務所が、申請意思をもつ申請者の申請行為を妨げるような言動を行ったことを裁判所が認定していること、申請者の側に、必ずしも明示的な意思表示がなくとも、申請者の困窮状況などから、申請意思があったと認定している点が重要だと考える。


(2)北九州市の事例における助言・確認・援助義務違反


 次に、北九州市の事例について。

 申請者である男性は体調を崩して休むと会社に連絡したら職を失い生活費に困ってしまい、福祉事務所を訪問。福祉事務所は「仕事をしなさい」「仕事がなければ探しなさい」などと男性に話し、さらに保護廃止から6月4日までの収入を何に使ったかを尋ねたが、男性はお金の使途について明確には話さなかった。

 男性は、生活保護の申請をしたいと述べたら、福祉事務所職員から「働く努力をしなさい」「仕事を探しなさい」「仕事を探す努力をしなければ、保護申請をしても却下される」と言われた。

 男性は、「働いてもすぐに給料はでない。病院代もかかる。携帯電話も止められた」などと話し、「生活保護の申請をしたい」「今から申請書を書くから預かってほしい」と訴えたものの、断られてしまった。

 6月9日、男性は自殺。預貯金残高は79円。所持金は1000円であった。

 裁判所は、福祉事務所の対応はこの男性が生活保護を必要とする可能性が高いと判断できるにもかかわらず、収入の使いみちを尋ね、高齢で再就職が困難であるのに強く就職活動を求め、保護申請を諦めさせたものであり、福祉事務所には収入の使いみちに問題があるとの理由で保護申請を諦めさせることがないように配慮する職務上の注意義務があり、「漫然と助言・確認・援助義務に反したもので、国賠法上違法である」と述べた。


5.行政の怠慢と水際作戦の深刻化-北九州市の事例から


 さて、裁判例で問題となった福祉事務所の対応は、個々の職員の問題として片づけることができるのであろうか?

 北九州市の事例では、裁判所が判断部分の冒頭で「北九州市における生活保護の状況」に言及している。平成16年度の生活保護申請率は、政令市の平均が30.6%なのに対して北九州市は15.8%と政令市の中で最低であった。裁判では、厚生労働省による北九州市への監査についても触れられ、小倉北福祉事務所について「生活困窮者の情報提供、連携体制に関しライフラインとして最も重要な水道部局との連携が十分図られていないこと、過度に稼働能力の活用や扶養義務者による援助の確認を求めた事例など不適切な事例が認められたことなどが指摘された」と事実認定した。

 つまり、北九州市における「水際作戦」は、個々の職員の資質の問題というだけではなく、生活保護受給の抑制につながるような行政全体の姿勢、あるいは受給者に対応する仕組みの不備を背景とするものだといえる。

 ここまでの裁判例の検討をまとめると、裁判所が、申請権の侵害に当たる場合を具体的に指摘したこと、また、行政機関の義務を列挙したことがまず重要であり、そのことにより、申請者と行政のやり取りに、申請権に関わる法的な課題や論点を見出すことができる。加えて、個々の事例を超えて、行政の姿勢や仕組みについて批判的言及がされていたことも指摘しておかなくてはならない。この裁判では、生活に困って福祉事務所を訪れて、繰り返し生活保護申請の意思表示をしたのに拒否している点と保護実施機関の義務が果たされていない点、そして生活保護世帯数が増えないように抑制する保護実施機関の方針という問題が明らかになったといえる。


Ⅳ おわりに-生活保護における「申請権」の研究へ向けて


 以上、法的な観点から水際作戦について検討してきたが、これは「申請権とは何か」というテーマの入り口にすぎない。筆者は今後、条文解釈や裁判例の分析、先行研究の検討を踏まえながら、生活保護の申請という場面の特徴を導き出し、申請権という権利を観念することで、生活保護の受給と申請という行為の結びつきについて、また、生存権実現のために申請の場面で、行政に対し、どのような義務を求めることができるのか探求していく。その中では、本論文でも触れた、行政による平等な取扱いや、ソーシャルワークとしての相談といった視点が重要となる。

 「申請権とは何か」といったそもそも論をはじめ、生活保護申請手続きの適正さをどのように確保するのかについてなど、未だ研究の途上である。

 また、行政による公平性の担保や平等な取扱い、ソーシャルワーク機能のように裁判例だけでは導くことができない部分も残されており、引き続きの研究が必要である。











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