黒い告白水平線【毎週ショートショートnote】
「さあ、お前のやったことを思い返してみろ……」
老獪な元刑事は水平線を前にして穏やかに語りかけた。
〝俺がここに呼ばれたということは自白剤が効かなかったということか?〟
〝ええ、水平線の野郎の体重というか質量がべらぼうで世界中のLSDやチオペンタールをかき集めても足りんのです。自白剤の使用ははなから無理でした〟
容疑者から自白を引き出す名人として〝落しの洗掠〟と異名をとった洗掠元刑事が呼ばれたいきさつだ。御年68歳だった。尋問はデジタル庁にひっそりと新設された真理局の取調室だった。
真理局?
聞き慣れない言葉だったがこれはアメリカのバイデン政権で設立から4日で閉鎖に追い込まれた真理省を手本にしていた。その設立の目的は政府のプロパガンダと言論弾圧だ。別名〝誤情報統治委員会〟という。
それは言論の自由からは対極の存在だった。余談だがその真理省というのももともとはジョージ・オーウェルの小説「1984」に出てくる真理省と同義だ。
水平線はこの真理局で誤情報の発信と拡散で取り調べを受けていた。
元老刑事は様々な策を弄したが水平線はなかなか口を割らなかった。
元刑事は突然朗々と歌い始めた。
水平線はきょとんとし、調書を取っていた書記官は頭を抱えた。
何だ!何だ!何が始まった?童謡の「うみ」か?
よかった!2フレーズぐらいで終わった……。
元刑事は動じない。何かを考えているような間を取った後再び声を張り上げた。
加山雄三の「海 その愛」だった。今度は2フレーズもなかった。
それを聴いた水平線のかすかな変化を元刑事は見逃さなかった。
長い長い沈黙の後再び元刑事が意を決したように吟じた。
渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」だ。
それを聴いた瞬間、明らかに水平線に動揺が現われた。今度は水平線の何かを揺さぶったようだ。歌が進むにつれ水平線はわなわなと震えだした。
熱唱だった。
サビのところで水平線がわっと泣き出した。元刑事はそれを横目で確認しながら最後まで歌い上げた。
何だ、ただ歌いたかっただけなのか……
「さて、水平線。話してみろ……」
水平線はさめざめと泣きながらようやく言葉を発した。
「すいません。私がやりました……」
水平線の自白がはじまった。いや別に彼は罪に問われてるわけではない。告白と言うべきか。
「最初はほんの出来心でした……いや、ただのいたずら心でした……」
「わかっておる。この説は今からおよそ150年もの間ごくごく少数派のそれを信じる人々の間で生き残ってきたんだ。昨今の新たな盛り上がりを見せるこのネットとSNSの時代の〝地球平面説〟にお前はどう関わってきたのだ?」
「それなんですが。先ほども申しあげたとおり最初はジョークでした。ネット時代の地球平面説の根拠の主なもので『水平線に見える船の下の方も見えてるじゃん!』というのがありますが最初にこれを投稿したのが私なんです」
「@NewHorizonというアカウントでな。This is a pen.だかThis is a map.か。こんなこと英語で言うわけ無いじゃないか……まったく。頭がおかしいんじゃないか。あっ当時の文部省のことだが」
元刑事は何やら意味不明なひとり言をつぶやいたあと、書記官に〝今の一言の後半は拾わんでいい。わかる人だけがわかれば良いのだ〟と断ったが、この指示自体も意味不明だった。水平線はこの文言をスルーして続けた。
「そう。私の投稿なんですがこれは上位蜃気楼といってある条件では充分アリの現象なんです。で、当然これにツッコミを入れてくるのが大半だろうと思ってタカを括っていたら、これに現代の若者が飛びつきまして。予想外でした。もうそれはそれは盛り上がってしまい今更引くに引けない状態になってしまい……」
「活動の中心にいた!といういう訳だな」
「はあ……いっそのことと……つい」
「わかった。お前を地球平面説の誤情報の発信者、拡散者として認定する。この行為に対する法はないのでお前は罪には問われない。だがお前のアカウントと投稿は検閲の対象となりアカウントは停止、関連の投稿はすべて削除だ。いいな!」
水平線はこっくりとうなずいた。
「帰ってよし!」
水平線はすごすごと帰って行った。
取調室に残ったのは元刑事と書記官だった。
「お見事でした」
「いや、なに」
「よくコントで『母さんの歌』でホシを落とす場面が定番ですがまさか実際にそれをする取調官がいるとは思ってもいませんでした」
「お前、俺をバカにしとるのか!」
「いいえ滅相も御座いません。『かもめが翔んだ日』のフルコーラスを書き起こした場面では死ぬかと思いましたが」
「お前やっぱり!俺を何だと思っている?」
「いえいえ今回は〝落しの洗掠〟の真髄を見せられた気がします。あの展開の何が水平線の琴線に触れたのか、歌唱力なのか、選曲なのか……」
「俺は水平線の様子を観察して、合う曲を考えていただけだ」
「やはり選曲の妙なんですね。さすがです。刑事なんかじゃなくDJやMCをやられても成功されたと思いますが」
「うるせーわ!」
書記官はどうも一言多いようだった。だが今回の成果に対して満足していたのか元刑事の機嫌も満更ではなかった。
「アンコールには応じない」
そう一言残して元刑事は帰っていった。
(2289文字)
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