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母に祖母に似てきたねと言われて、不思議なきもちとともに、心が温かくなった話。

結婚をしてからは転勤族の旦那さんとともに、生まれ育った地元を離れて今は横浜で暮らしています。
(大学卒業と同時に、就職で大阪を離れ山口県で過ごしたので、結婚をする前からにはなるのですが)

なので、どうしても家族と会えるのは年に数えるくらい。ましてやこんな世の中なので。
先日、コロナがいったん落ち着いた頃に、家族の顔を見に帰省した時のはなしです。

いつも母親は待ち合わせの時、大雑把にしか場所を伝えてくれない。そして肝心な時、スマホの電話にも出てはくれない。(〇〇のあたりにいます←なんでいつもフワッと伝えてくるんやろう)
パート帰りの母親と阪急梅田の地下で待ち合わせ。案の定フワッと指定された待ち合わせ場所と、電話には出ないスタイル。(梅田でフワッとした待ち合わせ場所は難易度たかすぎやんか?)
人混みの中から母親を見つけるときは、「ウォーリーをさがせ!」ならぬ「おかんをさがせ!」になり、会える喜びとともに、いつもワクワクした気持ちになります。なんだか子供の頃にあった感覚。


1年ぶりに人混みの中で見つけた母親は、あれ?こんなに小さかったっけ?と少しびっくりしました。

無事に「おかんをさがせ!」はクリアし、久しぶりに親子水入らずの時間。2人でランチを食べて、一緒に実家に帰宅。その日の夜、夕飯もお風呂も済ませて、父親は寝室へ、母親と2人でリビングでゆっくりしているときでした。

テレビを見ていると、ふと母親が言いました。



「なんか、きゃおり、おばぁちゃんに似てきたな〜」


唐突だったので、「へ?」と間抜けな返事とともに母親を見ると、少し不思議そうな、でもなんだか少し嬉しそうな表情で見つめてくるのでした。

そして、続けて

「おかーちゃんに、見えた」

と言うのでした。微笑みながら言ったその表情は、【母親】ではなく【娘】の顔をしていました。母親が私の前で「おばぁちゃん」のことを「おかーちゃん」と呼ぶこともあまりない。

なんだか不思議な気分でした。


「私も最近、おばあちゃんに似てきたなって思うことあるねん」と言うと、「どんなとこ?」と聞かれたので、ふたりでおばあちゃんのことを懐かしみながら、思い出話とともに、とても優しい時間を過ごしました。


超おばぁちゃんっ子だったわたし。


中3で他界して、会えなくなってから随分とたったけど、最近、生活をしている中で自分の中におばあちゃんを感じることがとてもある。感じるというか、、おばあちゃんが好んでいたもの、生活のなかでしていたことを、私が同じようにしていたりする。
床ぶきの仕方とか、お花が好きだったりとか、格闘技がすきだったりとか(優しいおばぁちゃんだったのに格闘技の番組が大好きで、当時は何故おばぁちゃんは殴り合うのを見て楽しんでるのかと不思議だった)

「顔まで似てきたのか!」と少しおかしい気持ちとともに、でも少し嬉しいような。。


おかんが私を産んでくれたおかげで、そしてそのおかんをおばあちゃんが産んでくれたおかげで、私は生きているわけで。おばあちゃんの血が確実に私には流れている。

おばあちゃんは今も私のなかで生きている気がする。もしかしたら私の目を通して、おばあちゃんは今もおかん(娘)のことを見守っているのだろうか、、


わたしが母親のことを大切にしたいきもちは、おばぁちゃんがおかんのことを思う気持ちなのかもしれない。

おかんにここまで育ててもらったんだから、次は私がおかんを守っていく番だなぁ。そう思うのは、おばぁちゃんの思いでもある。きっと。

なんだか心がポッと温かくなるような、
でもなんだか不思議な、
そんな気分になったお話でした。

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