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明日目が覚めたら、10年前に戻っていてくれ

とたまに思います、寝る前に

中学校で1年間、高校を半年で辞めて2年間くらい引きこもっていた間は、時間だけは無限にありました

別に学校に行く必要はないけども、何か楽しいことをしておけば良かったなぁと悔いが残っています

病気もあったからかもしれませんが、自分の場合は引きこもっていた時期の記憶というのは、ほとんどボヤけていて思い出せません

焦燥感の中、自己治療的にインターネットサーフィンを延々と繰り返していた感覚だけは残っていますが、見ていたアニメも、遊んでいたゲームも、読んでいたマンガも、夜中に歩いていた道も、なんにも語れません

多分、ただ焦りや不安を打ち消すためにボーッと眺めたり、ページをめくっていただけだから、あんまり記憶に残っていないんだと思います

元に戻ることへの執着をやめて、趣味に熱中できていたらば、それなりに何か語れるようなものがあったのかもしれませんが、自分にはそれができませんでした

だから、客観的に見たらそんなこともないのかもしれませんが、自分の中では「10代で得られたものが何もない」という、すごく嫌な感じの空白の感覚があり

自分はなんにもないし、なんでもなかったので

変なプライドの高さや、「知っていなければならない」という感覚も、このコンプレックスに端を発しているんじゃないかなと

だから今もずっとそこを埋めようと、焦っている自分がいるなぁと感じます

いつまで経っても何かに追いつこうとしているから、いつまで経ってもなんにもしっかり楽しめないし、常に急いでいます

社会学や哲学に傾倒しているのも、今でこそ少しずつ意味のあるものになってきましたが、本を正せば経験の少ない自分の一発逆転の手段としてはじめたことであり、「何もない自分」が生きることに対しての解答を探し当て、先んじようとするヨコシマな動機だったなぁと

今も、目の前のことを楽しんでいない自分を発見する機会は沢山あります

楽しむことよりも、急いで知識をつけてマトモなフリをしようとすることに執心しているものだから、すぐに強迫的になってしまいます

何かに熱中したり楽しんで過ごす時間は、すぐにこの手の焦燥感に横槍を入れられてしまうから、強迫的な意識の中にとらわれがちで

正直大学生活もやり直せたらなぁと思っちゃいます

だから、頭がヘンになる前から、もう一度やり直せたらいいのになぁとどうしても思ってしまいます

引きこもりに戻って、この先も、今までも、全部なかったことにしたいという狂った考えにとらわれることもあります

ただまあ目が覚めて本当に10年前に戻ってたらラッキーですけど、そんなハズはないので

「戻れ!」と念じて寝ても淡々と明日の朝がやってくるだけなので

そう言い聞かせたところでやっぱり戻ってくれと願わざるを得ないんですけども

失ってしまった時間を否認したって、それは自分の経験なのでなかったことにはならないし、否認すればするほど、もの悲しいプライドで埋め合わせることしかなくなってしまうので

みんなが時間をかけて楽しんで、身につけてきたものは一朝一夕では身につかないのだから、焦りを横に置いて、時間をかけて楽しむことを今日からでもはじめるしかないし、そうすればまた10年後に同じことを考えなくて済むんじゃあないかなと思います

今から焦らずに楽しめたら、きっとマトモな大人にはならないので

「正しい」大人じゃないのに楽しく生きているとしたら、そんなに素晴らしいことはないし、同じようにしんどい思いをしている誰かが前を向くきっかけくらいにはなるんじゃないかなぁと思いまし

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